この映画は、1973年の作品だ。
ロボットないしアンドロイドの造物主=人間に対する(パースナリティや意思と欲求の)自立と反抗・反乱というテーマは、小説や漫画、アニメでは、すでに1950年代から登場していた。
その意味では、この映画で描かれた、デロス(アミューズメントパーク)でのロボットたちの反乱は、それほど目新しいものではない。けれども、ここには、スーパーコンピュータによってパークの運営やロボット全体が集中制御されるシステムが、事件の背景として存在している。むしろ、「影の主役」いってもよい。
それは、1960年代後半に、有人探査ロケットを月面にまで到達させ、安全に帰還させたアメリカ合州国の電子工学・サイバネティクスの飛躍的な発達を土台としている。
この映画では、人に対するロボットの反乱・攻撃の原因が、コンピュータシステムに「病理状態」の発生というものとなっている。人の抹殺を指示するプログラムは、「病理」として、システムの内部に「自然発生」し成長拡大し、ついにパークの管理システム全体を乗っ取ってしまう。つまりは、コンピュータシステムの「病理」が、独特のプログラムの出現とその自己保存的な拡大再生産として示されている。
これは、当時まだ一般の耳目には達していなかった「コンピュータ・ヴァイラス(ウィルス)」に相当する。
今から考えれば、恐ろしいほど先端的な内容をもっている。
73年、私は高校生だった。その年、高校の社会=産業実習で、当時の日本で最先端のコンピュータの扱いを体験した。県の「産業教育センター」で。
ごくごく初歩の初歩の簡単な演算のプログラミングとその処理過程を、ほんのわずかに垣間見た。
プログラミングは、マークシート方式で、厚紙でできたカード(縦横にそれぞれマトリクス格子が描いてある)の欄を濃い鉛筆で塗りつぶして、簡単な方程式の演算処理を命じるプログラム(わずか数行)をつくった。もちろん、原理や根拠はわからなかった。教わったままに。
ただ、
「ON・OFF」の2つの値を1単位とする、2進法の決定=前進とフィードバックのメカニズムがはたらく。このメカニズムは、2の3乗を最小ブロックとしてプログラミングのコードの最小単位となっていて、それが累層して演算コードがプログラムを構成しているらしい。要するに、2を底とする対数関数が基礎になっている。そんな初歩の初歩が何とか理解できた。それだけ。
センターでは、広い訓練室に、あの磁気テイプのリール(直径20~30㎝くらい)が回転する大型の「電子計算機」の箱が何台もが置かれていた(シリーズおよびパラレルに配置連結されていた)。幅100㎝×奥行き60㎝×高さ180㎝くらいの箱が10台か12台くいらいあったように記憶している。
つまり、体積は10 m3もあったようだ。
だが、情報処理=演算能力は、今のデスクトップの10億分の1あったかなかったか。それくらいではないか。
そのとき、コンピュータへのコマンドを「ディスプレイ」でおこなうなんていうのは、想像の遥か彼方にあった。演算処理の経過と結果は、プリンタから出てくる専用用紙への「印字」を見て、はじめて視覚的に確認できた。
今から思えば、すごく幼稚な装置だった。が、その当時は、これで、あの巨大な宇宙船運搬ロケットを地球の重力圏外に打ち上げ、月までの軌道、月の周回軌道、着陸、離陸、地球への帰還などの、膨大で難解な関数方程式を組み立て、計算したのだ、と思うと、わけもわからずに感動した。
それまで、コンピュータといえば、市場に出回り始めた初歩的な電子計算機、「電卓」を除けば、弾道計算用のアナログコンピュータしか知らなかった。
アナログコンピュータは、円盤の上に円周に沿って目盛りが刻まれた「計算尺」を多数組み合わせた計算機だ。計算尺の目盛りとは、対数目盛りのことだ。
この円盤を特定のギヤ比で組み合わせ、噛み合わせて、2次関数や三角関数などの複雑な演算をおこなうことができる。とはいっても、ディジタルコンピュータに比べれば、児戯に等しいのだが。
形は、円盤対数目盛りのギヤが何枚も組み合わさったもので、自転車のギヤ変速機みたいな形状だ。それが精密なアナログ時計のなかのように、複雑に組み合わさっている。
必要な演算の組み合わせに合わせて、円盤の噛み合わせを設定して、ハンドルを回せば、計算ができる。
おそらく、戦艦や巡洋艦のなかで、火砲の弾道計算・照準係が、ハンドルを回して弾道を割り出し、砲手に伝達するか、あるいは直接に砲塔や砲身の角度や位置を設定していたのだろう。