ウェールズの山 目次
ベートーヴェンと写譜師
原題について
見どころ
ああ、何という…!
アンナ・ホルツ
奇人ベートーヴェン
できの悪い甥
第9番の初演当日
巨匠の新たな挑戦
大フーガ
大フーガ
近代西洋音楽史
音楽のブルジョワ化
音楽の建築職人として
ドイツ哲学の展開と並行
作曲法と耳疾
第9番の指揮は誰がやったのか
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オーケストラ!
マダム・スザーツカ
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

奇人ベートーヴェン

  癇癪持ちのうえに傲慢でわがままなベートーヴェン。その彼に恐れをなして、これまでに雇われたどの家政婦も1週間ともたずに辞めていってしまった。だから、部屋は乱雑を極め、ゴミだらけだった。しかし、一心不乱に作曲に励むベートーヴェンは気にすることもない。
  しかし、何ごともきちんと整頓されていないと気が済まないアンナは、ネズミが出没するような汚い部屋で仕事をすることができない。そこで、家政婦代わりに部屋の清掃や整頓をおこなうはめになった。
  だが、彼女は気にしなかった。
  音楽学校で優秀な成績を記録したアンナは、ベートーヴェンの音楽が大好きで彼を心から尊敬していた。この大作曲家のすぐ近くにいて写譜という形で学ぶ経験は、何事にも代えがたかったのだ。彼の楽曲のすべてについて、細部にいたるまで研究していて、彼が使いこなす技法や好みのモティーフ提示法や旋律音形の変形・展開法、転調のスタイルを分析しつくしていた。そして、それを参考にしてアンナは独自の曲を作曲していた。

  しかし、何しろ傲岸不遜、傍若無人のベートーヴェンだ。アンはしょっちゅうベートーヴェンと衝突したり戸惑ったりすることになった。
  あるとき、ベートーヴェンは、妙齢の女性の前にもかかわらず、上半身裸になり、身体を洗うために部屋の真ん中で水をかぶった。床はびしょぬれで階下に漏れた。階下の部屋からは非難の叫びが飛んできた。ことほどさように、ベートーヴェンは奇矯なおこないで隣人や周囲としょっちゅう揉め事や諍いを起こしていた。
  そして、人使いも荒かった。
  彼の専属の写譜師のように懸命に働いているマルティン・バウアーも、牛馬のように酷使している。バウアーはルートヴィヒの人間性には不信感を持っているが、作曲家としてはものすごく尊敬している。だから、ベートーヴェンがつくる楽曲を出版し売り込む仕事も請け負い、スポンサー=パトロン探しにも奔走しているくらいだ。だが、寄る年並みで、作曲家のわがままに付いていけなくなりつつある。

  そこで、バウアーはアンナ・ホルツを巧みに使ってベートーヴェンの行動スタイルに影響を与えようと画策することになる。
  「あのルーディ(ルートヴィヒの愛称)が、あんたにはずい分穏やかに接しているじゃないか。それに、あんたの言うことには素直なんだな」というのが、バウアーの最近の評価なのである。
  しょっちゅう口論や衝突をしても、ベートーヴェンはアンナの言うことには耳を傾けるのだ。怒っても、冷めるとアンナの助言の通りに動くのだという。

  ところで隣人たちのベートーヴェン評はどうかというと、
  たとえば隣の老婆。ベートーヴェンの傍若無人ぶりにはいつもひどい目に合っている。
  で、アンナが彼女に尋ねた。
  「いつも大変でしょう。でも引越ししないんですか?」
  「まあね……。でも、あのベートーヴェンの曲ができるのを誰よりも早く知ることができるんだよ。誰よりも早く新曲を聴くという魅力には勝てないねえ」
  人間性や人格には大いに疑問を感じているが、彼が作曲する音楽は何物にも代えがたい魅力を感じているわけだ。


■音楽家を蝕む耳疾■
  ベートーヴェンは耳の病気で苦悩している。音楽家としては、難聴は致命的な障害である。
  この物語では、ベートーヴェンは銅板製の凹面鏡のような集音器や伝声管のラッパのような「補聴器具」を頭部に付けて、ピアノを弾き音を聞き取ろうとしている。
  だが、複合的な楽団の演奏の音響を聴き分けるのは、どうしても不可能である。しかし、「第9番」の演奏会は目の前に迫っている。
  演奏会では、オーストリア帝国皇帝フランツをはじめとする大貴族などヴィーンの有力者が大勢来るという。そういうこともあって、ベートーヴェンは自分が指揮をすることになっている。
  この時代には、作曲家が自分で指揮するのが当然だった。というよりも、他人がつくった曲を演奏指揮する者はまずいなかった。作曲は何よりも自分が演奏または指揮するためにおこなうものであって、他人が演奏する楽曲をつくるという慣習が一般的になるのは、もう半世紀以上も後になってからのことだ。

  バウアーはひどく心配していた。
  耳がすごく悪いベートーヴェンでは、まともな指揮どころか、それまでのリハーサルさえうまくいっていないからだ。
  この作品では、楽団の練習でベートーヴェンはひどい失敗をして、ひどく落ち込んでしまった。
  そしてさらに耳が悪いからか、人の話を聞かない。聞こえない。こうして、ベートーヴェンは自分の世界にますます頑なに閉じこもるようになり、傲慢さや傍若無人振りがどんどん昂じていくことになる。

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