さて、ヨーロッパの音楽史(実際の歴史)のなかに位置づけて映画作品に描かれたベートーヴェン像を吟味してみよう。
この作品は、ベートーヴェンの大フーガと同じようにじつに難解で理解しがたいものだ。映像(日本向け版)の編集の仕方に問題があるのだろうか。
だが、ヨーロッパ――ことにブリテン――での評価もひどかったようなので、「何を伝えたいのかわからない映画」ということなのだろう。
もっとも、ヨーロッパでの不評の根拠は、ベートーヴェンの交響曲第9番の作曲をめぐる歴史的な事実関係から離れすぎているということらしい。
では、事実と考えられているものとは異なる物語(状況設定)を描くことで、この作品は何を伝えたかったのか。
■ベートーヴェンに写譜師はいない■
交響曲第9番はもとより、ベートーヴェンの作曲では写譜師の手助けは借りなかったという。
時代状況としては、音楽という世界――音楽家、興行師、印刷出版業者、そして消費者としての都市の上流家庭や聴衆たちが絡むい合い織りなす文化――が1820年代ごろに1つの産業界として発達して自立化したために、写譜師とか他人が作曲した作品を演奏する指揮者などが登場してきたらしい。パリや北イタリアなどでは、有力貴族の宮廷以外にも音楽家がプロとして生計を営むことができるほどの産業になったらしい。
ことに18世紀末の革命期を経て、パリでは富裕市民階級や都市型専門職層が買い手となる音楽市場が成立したようだ。イタリアでは早くから富裕商人階級が貴族層(プティ宮廷)を形成してきたから、ブルジョワ社会が求める音楽市場はかなり発達していた。
ヴィーンでも器楽や声楽を中心とする音楽教育を専門におこなう学校が運営されていた。
ベートーヴェンは写譜師ではなく、出版印刷業者にじかに手稿楽譜を手渡していたようだ。その出版印刷業者が、写譜師などの専門技能者を雇うことはあったかもしれない。
その頃、印刷による出版業だけが、音楽を記録に保存してそのコピーを世の中に「ある程度大量に」供給することができた。レコードやCD、などの録音装置が登場するのは、まだまだ遠い将来のことである。
印刷出版業者たちが、楽譜の買い手需要を見込んで、その当時はものすごく高価な印刷物を製造して販売したのだ。買い手は、貴族家庭や都市の富裕商人層で、自らの趣味としてすぐれた楽曲を蒐集するためとか、「良家の娘(お嬢様がた)のたしなみ」としてのピアノやヴァイオリンなどの器楽を学ばせたり、家族の誰かを専門の音楽家として育成するために教本として楽譜を買ったという。
だから、楽譜一冊当たり、現在の価値で数万円から数十万円くらいはしたのだろう。いずれにせよ、金持ち相手の奢侈品だった。
当時のヴェンチャービスネスで、大当たりをとることもあれば、製造費用だけがかさむ失敗もあっただろう。
とはいえ、出版業者は音楽家のプロモウターをも兼ねていた。音楽好きの有力貴族や富裕商人層に売り込み宣伝などをおこなったり、音楽家にパトロンを斡旋したりした。あるいは、ベートーヴェンのように持続的なパトロン関係を好まない音楽家に対しては、楽曲ごとのパトロン――つまりは楽譜出版や演奏活動のスポンサー ――を探したりした。
楽譜の売り込みそのものが、音楽家のプロモウトだったわけだ。
さらに、北イタリア諸都市やパリ、ロンドン、ヴィーンなどの大都市では、やはりヴェンチャービズネスとして「予約演奏会」を企画する興業マニジャーが登場した。予約演奏会とは、有力な作曲家の新曲発表のための演奏会を企画し、手として都市の富裕諸階級に「前売り券」を販売して、その収益で演奏会場を借り、楽団へ作曲家への報酬(利益配当)を支払う事業である。1780年代には出現していたようだ。
というしだいで、19世紀のはじめ頃には、音楽は貴族の宮廷の付属品・装飾物という限界を脱して、とくに都市部に居住する金とヒマのある諸階級全体――大都市の商人や法律家・会計士などの専門職層――を相手にするビズネスとして成立し始めていた。
この状況は、アマデウス・モーツァルトが生きていた頃とは決定的な違いである。
つまり、音楽家たちは、有力貴族の宮廷ばかりに目配りして、彼らの嗜好に合わせて活動しなければならないという状況から脱出するための条件が整い始めていたわけだ。
だが、都市の富裕層は概してステイタスシンボルとして有力貴族の生活スタイルや行動スタイル、価値観を模倣したがったので、貴族階級や富裕商人層の「受け」を狙う必要はあったかもしれない。
ともあれ、こういう歴史的状況が、貴族的な価値観から超然とした音楽活動を求めるベートーヴェンの世代を生み出したのだ。とはいっても、ベートーヴェンの立場はその時代でも特殊で際立っている。