ウェールズの山 目次
ベートーヴェンと写譜師
原題について
見どころ
ああ、何という…!
アンナ・ホルツ
奇人ベートーヴェン
できの悪い甥
第9番の初演当日
巨匠の新たな挑戦
大フーガ
近代西洋音楽史
音楽のブルジョワ化
音楽の建築職人として
ドイツ哲学の展開と並行
作曲法と耳疾
第9番の指揮は誰がやったのか
おススメのサイト
音楽芸術の物語
アマデウス
オーケストラ!
マダム・スザーツカ
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

■音楽のブルジョワ化■

  さて、19世紀になると、楽譜出版や予約演奏会の市場は、富裕貴族や大商人階層から、より下の階層――都市の専門職層、事務職員、軍人、企業家などの家庭――に拡大していった。とりわけ、楽譜については、家族や親密な友人たちと室内楽の合奏を自ら楽しむ富裕市民層が新たな買い手として登場する。
  もちろん、貴族や富裕商人を模倣したがる、こうした中間層も「良家のお嬢様、お坊っちゃまの情操教育」の教材として高価な楽譜を購入するようになる。
  「音楽市場のブルジョワ化」である。

  とはいえ、ヴィーンやパリのような大都市でも、識字率はまだかなり低い。まして、人口のうち楽譜の読み方を理解する人びとの比率はさらに低かった。ということからすれば、《アートとしての音楽》を享受・受容するのは、都市人口のうちごく限られた階層だけだった。つまり、ベートーヴェンの楽曲もまた、多数派の民衆のためのものではなかった。
  ベートーヴェンが――政治的立場としては――いくら貴族よりも一般市民を歓迎したとしても、彼が音楽を提供して評価してもらう相手は、それなりに富裕な階層だけだった。彼の Arbeit (刻苦精励・労働)というものも、賃金労働者階級や下層民、農民の労働とは、質的に決定的に異なるフィールドに属していた。

  また、19世紀になるとヨーロッパの有力諸都市では専門の音楽学校が設立・運営されるようになる(1805〜1930年代)。パリやヴィーン、プラーハなどでは器楽や声楽の専門演奏者を育成訓練するようになる。そうなると、とくに演奏者のカリキュラム課題としての楽曲が必要になる。
  そのために一方では、現役の作曲家の作品からすぐれた――評判を取ったもの――を選ぶことになるし、他方では、過去の音楽家の楽曲で保存されている楽譜を収録・修復することになる。ベートーヴェンのようなマエストロの過去の作品を課題曲とすることもあるだろう。
  楽譜はこうして新たな需要=市場を獲得する。音楽学校の教授や学生は、さらに演奏会の聴衆ともなった。
  してみれば、音楽家が、かつてのように有力貴族や大商人に人格的・身分的に従属するように卑屈なパトロネジを求める必要もだんだんなくなっていく。
  このような時代背景を念頭に置いて考えてみよう。

  以上のような文脈において、19世紀半ばから後半には、過去のすぐれた音楽の記録(楽譜)を発掘し修復して演奏するようになる。作曲家が自ら演奏・指揮するために楽曲を創作した時代から、他人による演奏や評価を強く意識して楽曲をつくるという時代に移っていく。

  こうして音楽市場の拡大成熟とにともなって、演奏家や多数の聴き手のために「何をどう演奏すべきか、聴くべきか」について指針を示すような音楽の批評がそれ自体ひとつの専門職種となってきた。新聞などのメディアが発達してきたからでもあった。
  はじめは自ら優れた音楽家としての資質をもつ人たちが、こういう批評=執筆活動を担うようになった――たとえばフランツ・リスト。
  こうして一方では、音楽はいわば大衆化し、流行モードになっていく。演奏家たちは、聴衆の注目を浴び、目立つために超絶技巧と呼ばれるような難解な奏法を追求するようになる。この傾向は、とくに音楽サロンが活発になったパリで顕著になった。

  他方で音楽を演奏する機会が飛躍帝に増えたことから、演奏曲目を増やすために、過去の優れた作品、偉大な作品(楽譜資料)を発見・発掘することも音楽家・音楽研究者の重要な課題となっていく。ドイツでは、バッハの膨大な作品群が発見され、再演され、この時代の作曲活動に大きな影響を与えた。
  それまで多数の小領邦国家に分裂してきたドイツを統一して国民国家を形成しようとする思想や政治運動が盛んになってきた。それは「偉大なドイツ民族」の過去からの栄光・伝統の再発見・再評価の動きとも結びついた――それは多分にフランス(パリ)の華麗な音楽文化に対抗しようという意図と結びついていた。音楽の世界でも、偉大なドイツ民族の栄光の発掘という文脈で、バッハやハイドン、ヘンデルなどの作品群が位置づけられ評価されることにつながった。

  そのため、この時代の作曲家たちの多くが、自分の楽曲をそういう「あるべき偉大な音楽」の歴史の流れ、「音楽の英雄」の歴史系譜のなかに残そうという願望を抱くようになった。軽薄な流行に乗るのをためらい、また「世俗化し通俗化した現在」の評価に汲々とすることを厭い、「あるべき理想の音楽史」に名を残そうとする潮流が台頭する――そうロマン主義である。
  それは多分に「今ここにないもの」を理想化して追い求める傾向でもある。その傾向は、むしろ有能な作曲家たちにプレッシャーをかけることにもなった。たとえばブラームスの20年の精励・苦悩と沈黙。

前のページへ || 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済
SF・近未来世界