志田は会社の倒産後に家族を捨てて家を出ようとしたときに、たまたま目にした新潮社の文庫本『落穂拾ひ・聖アンデルセン』を手にした。そして、ホームレスになってからは、家族に囲まれて暮らしていた幸福な時間を思い返すように、その文庫本を繰り返し読んでいたらしい。
その文庫本は古書店で安価に買うことができるものだが、志田にとっては、失ってしまった家族と一緒にあった――記憶をたどるよすがとしての――あの文庫本が大事なのであって、いまさら別の文庫本を買う気にはなれなかった。
彼はいわば「心の宝物」を失った気分に陥っているのだ。
せどり屋の志田の落胆ぶりを見た栞子と大輔は、あの女子高生によってなぜ、どのように文庫本が盗まれたのかという謎を解こうと決めた。 謎解きの材料集めのための調査は大輔が担当することになった。
大輔はまず笠井に会ってあの時目撃したことを聞くことにした。
笠井によると、その日、彼が石段参道近くまで来たとき、女子高生が臙脂色の紙袋のなかの荷物をいじっていたという。そして笠井を見ると、鋏を持っていたら貸してくれと頼んだ。笠井が鋏を手渡すと、袋の中の何かを切ってから鋏を返したが、そのとき鋏の刃に水滴がついていたという。 その直後に少女はバス停の報に駆け出して、そこで誰かに会って話をしていたが、彼女はバスには乗らなかったようだ。どうやら、会った相手だけがバスに乗ったようだ。
女子高生は誰と会っていたのか。
大輔は次に、同じ時間帯にバス停に行ってみることにした。女子高生が会っていたらしい相手が見つかるかもしれないからだ。
大輔がバス停に行ってみると、男子高校生がベンチに座っていた。 大輔は少年、西野に尋ねた。
「何日か前、ここで女子高生と会わなかったかい?」
少年によると、あの日、同級生の少女とここで会ったという。彼女は、その日が少年の誕生日だと知って手作りのケーキを持ってきて、プレゼントしようとした。だが、少年はその少女の態度がでかいという理由で嫌っていたため、「お前になんか祝われたくない!」と言って突き返した。
彼女はショックを受けていたようだという。
大輔は「事情があってその子を探しているんだ。名前と住所、連絡先を教えてほしい」と頼んでみた。
すると、少年はあたかもその少女にトラブルがあれかしと願うように、自分の携帯電話を見せた。そこには彼女の名前と携帯電話番号、メイルアドレスが表示されていた。
女子高生の名前は小菅奈緒だった。
こうして、文庫本『落穂拾ひ』を盗んだのが小菅奈緒という女子高生だとわかった。
栞子と大輔は彼女にメイルを送って、会って事情を聞くことにした。
会う場所は、近所の甘味処「廿庵」。その店は鎌倉の名家育ちの大金持ち、藤波が趣味的に経営している。藤波は店のスタッフとして若い美女しか雇わないと公言している、オネエ言葉で話す変人だ。
栞子と大輔が女子高生を待っていることに強い好奇心を示している。だが、その日、少女は廿庵に現れなかった。