父親たちの星条旗 目次
政治の手段としての戦争
見どころ
あらすじ
「誤算」の日米開戦
真珠湾攻撃
日本の海軍の無能さ
軍産複合体
戦争の「悪夢」
山頂の6人
山頂に星条旗を掲げる
戦時公債キャンペイン
事実 truth とは何か?
アイラの脱落
それぞれの人生
おススメのサイト
戦史・軍事史関係
史上最大の作戦
パリは燃えているか
グリーンゾーン
戦艦ビスマルク撃沈

山頂の6人

  物語の焦点となる若者たちは8人。だが、報道用写真――星条旗を立てようとしている場面――に写っているのは6人だ。
  戦場へのワシントン政治の介入と報道用メイキングが加わって、星条旗を掲げる兵士たちの報道用写真は2通り撮影された。最初の突撃のときの場面と、あとで演出した場面と、写真は2通り撮影されたのだ。ところが、そのうちの後の方の1枚には、6人のうち2人が入れ替わっていたのだ。
  そして、新聞メディア報道用には、メイキングされた写真が使われた。なぜ、そのような「入れ替え」が起きたのか。そして、この「取り違え」はその後どのような効果をもたらしたのか。
  というわけで、この8人が所属する部隊に映像の焦点が置かれる。

  合衆国海兵隊第5海兵師団第28連隊のマイク・ストランク軍曹、レニ・ギャグノン一等兵、アイラ・ヘイズ一等兵、フランクリン・サズリー一等兵、ラルフ・イグナトフスキー衛生兵、ハンク・ハンセン軍曹、ハーロン・ブロック中尉、そして、この海兵隊の7人の闘いを同じ戦場で目撃する海軍衛生准尉ジョン・ブラッドリー。
  1944年12月、マイクら海兵隊員たちは、ハワイのキャンプタラワで砂丘の丘やボート上陸の訓練を受けていた。彼らは硫黄島に派遣されることを知らない。北アフリカの砂漠地帯に送られるのではないかと思っていた。

  ところが、翌週には太平洋を横断する大艦隊・船団の乗員となっていた。めざすは、ちっぽけな孤島、硫黄島。日本列島からは1200キロメートル離れた場所にある。
  ここを占領して長距離爆撃機の滑走路を建設すれば、日本列島のどこにでも大規模な爆撃作戦を敢行できるようになる。その意味では、日本本島の撃滅と降伏への決定的なステップとなる。大型長距離爆撃機B29の編隊が、硫黄島から飛び立って日本各地を爆撃したあと、中国大陸の連合軍基地(重慶など)に着陸するという作戦を敢行することができるようになるのだ。そうなれば、日本の大都市や軍事設備、軍需工場に壊滅的な打撃を与えることになるだろう。
  だが、硫黄島死守のため日本軍は決死の防戦を挑むだろう。


■前線の作戦に介入する政治■
  硫黄島に向かうのは、途方もなく巨大な艦隊・船団である。先頭の艦艇からは、最後尾の艦艇は水平線の向こうに隠れて見えない。各縦列隊形が長いだけではない。長い縦列が横にも何十本にも並び、その横幅も水平線のかなたにまで達する。何千隻もの艦船が太平洋に巨大な航跡を刻んでいく。
  硫黄島の最前線に送られる兵団だけでなく、その後方支援すなわち兵站補給体系を構成する夥しい物資を運搬する艦艇をもともなっているのだ。

  アメリカ軍は先立つ数か月間に、グァム、ティニアン、サイパンなどの諸島で日本軍を撃滅してきた。だが、硫黄島の戦闘は恐ろしく厳しいものになるに違いない、というのが各連隊の指揮官たちの見通しだった。
  1945年2月16日、硫黄島を幾重にも取り囲んだアメリカ艦隊は、一斉に艦砲射撃をおこなった。戦艦の大口径主砲(16インチ)から長距離機関砲まで、あらゆる砲門が硫黄島の陸地に向かって火を噴いた。航空部隊による爆撃と銃撃も敢行された。
  島の陸地表面には隙間もないほどに爆弾や砲弾が撃ち込まれた。
  艦砲射撃は3日間続いた。
  しかし、それでもアメリカ軍の将官・佐官たちは、この程度の艦砲射撃では日本軍の攻撃能力を撃破するには大した効果はないだろうと懸念していた。というのも、過去の太平洋諸島での日本軍の応戦方式を知っていたうえに、上空からの偵察で、日本軍は島の地下にアリかモグラのようにトンネル(地下壕)を縦横に掘り、防備の堅い塹壕や掩蔽壕を構築して、艦上や上空からの砲撃や爆撃に備えていることを理解していたからだ。
  だから、当初の作戦では艦砲射撃は10日間持続してから上陸を敢行する計画だった。

  ところが、ワシントンの政治的都合による圧力を受けて、軍司令部は艦砲射撃の継続を3日間に縮小しての上陸作戦を命令してきた。
  とにかく「作戦日程を短縮し成果を早く出せ」というのが、ワシントンと軍上層の意見だった。最前線からどれほど詳しく説得的な情報を提供しても、命令は動かなかった。
  当然その分、兵員の消耗・死傷、装備への打撃や損傷も拡大するはずだった。
  「若者たちに死ねと言うのか!」と先遣されるはずの連隊指揮官(大佐)は命令を告げた受話器を叩きつけた。
  こうして、2月19日、海兵隊と海軍による上陸作戦は開始された。
  兵員におびただしい犠牲が出るのは避けられなかった。当時はアメリカでも、そのような戦争を国家がすべての兵員に強制することができたし、兵員自身やその家族もそういう事態を受け入れていた。

  日本軍は、上陸したアメリカ兵たちを至近距離に引きつけてから反撃を開始した。海浜や砂丘には数え切れないほどのアメリカ兵が倒れていく。アメリカ軍側は火炎放射期や貫通爆弾などの最新兵器を投入して、日本軍を容赦なく駆逐していく。まさに「殺し合い」=殺戮と破壊という戦場の本質が描かれていく。
  「戦場には英雄はいない!」という冒頭の述懐を、映像が実証していく。

前のページへ || 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済
SF・近未来世界