スティーヴン(独音ではシュテファン)・ベックは辣腕の法廷弁護士で専門は刑法・刑事犯罪事件だった。彼はドイツからの亡命者だった。左翼の法律家のベックは、ナチス政権の政策を批判し続けていたため、迫害を受けて1935年にブリテンに亡命していたのだ。英国に来てから間もなく、妻は死去した。
彼を国家への反逆者として告発したのは、実の息子だった。息子は狂信的なヒトラー信奉者で、ヒトラー・ユーゲントのメンバーだったらしい。
息子の裏切りは、ベックを苦悩させた。それもあって、英国でも反ナチス工作のために秘密情報局の秘密エイジェントとして、ヒルダ・ピアース女史の指揮下で活動していた。このところは、ナチス政権と親密な英国企業の情報を収集していた。
彼がアグネス・ブラウンをE&E食品に潜入させたのは、この会社がドイツとの取引を継続して政府が禁止している利敵行為をしている疑いがあるからだった。
左派の人権派の法廷弁護士であるベックは、刑事被告人の量刑を軽くするために、警察の捜査の瑕疵や法律違反を探し出し、あるいは検察・警察が提示した資料・事実の証拠能力をことごとく減殺していた。
その日も、ミルナー巡査部長の陳述の一面性を指摘して、陪審員団の心象のなかに被告人に有利な状況を呼び寄せていた。
ベックはフォイル警視正の親しい友人で、法廷では攻守敵味方に分かれているが、しばしば渓流でのマス釣りをともに楽しんでいた。その日も、法廷での弁論を終えてから、ベックは週末にフォイルとマス釣りをする約束を交わした。
こういうフォイルの友人関係や人脈が、このシリーズの大きな魅力のひとつだ。政府の高官すなわち支配階級ないしエリートのなかにも、反体制の左翼や異端派のなかにも偏見なく広く人脈を保ち続けているところが。
だがベックは、その日の午後にアグネスからの電話での会話が突然途絶えたことを深く心配していた。そして翌日の新聞で、アグネスが会社の高層ビルから転落して死亡したことを知って愕然とし、苦悩した。
それで、彼は朝早くから教会に行ってアグネスの死を悼み、自らの心を鎮めるためにオルガンを演奏した。曲はJ・セバスチャン・バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だった。
演奏の途中、礼拝室にヒルダ・ピアースが訪れた。
ヒルダがかけた言葉は「(敵対する、そしてあなたを迫害した国である)ドイツの音楽ね」だった。
ベックの答えは「ええ、そのとおり。世界で最も美しい音楽のひとつです」だった。政治的思想から今はドイツと敵対しているが、祖国ドイツへの深い愛着がにじんだ言葉だった。それは理想主義者の心情を表していた。
ベックに対敵秘密工作に向けた出国の準備ができたことを告げ、任務に赴くよう命令するためだった。
だが、ベックは出発時期を少し先延ばしするように求めた。理由は、アグネスの死を無駄にしないために、E&E食品とドイツ政府との秘密協定の証拠を手に入れて、アグネス殺害犯を追及するためだった。