現代市民社会は資本主義的な経済原理で動いている。そのため人びとの生活は、一方で人としての信頼感や愛情、支え合いの仕組みとして動いている側面があるが、他方で経済的な収入やら利潤やらを得るために他人を手段として利用し合っている側面もある。
このどちらも私たちの生活・生存にとって切実に必要な要素なのだが、そのバランス取りがむずかしい。
この作品は、そういう問題を考える大事な材料を提供してくれる。
一方に、金儲けのためには自分以外の人間は兄弟さえも手段として利用しようとする弟。他方に、自閉症で自分の世界のなかに閉じこもりがちで、凄く高い知性を備えていながら、他者とのコミュニケイションがほとんどうまくできない兄。兄はコミュニケイション能力が非常に乏しい代わりに、純朴で自らの利益のために他人を利用するようなことはない。
原題は Rain Man で「雨男」という意味になる。この雨男は、乳幼児の頃のチャーリーが空想した友だちだった。だが、ここでは意味が問題になるのではなく、「レインマン」という呼び名の響き、そして響きの記憶が問題となる。弟のチャーリーが封じ込めてきた幼児期の大事な記憶をたぐる糸として。1988年作品。
見どころ
この映画作品では、「自閉症」だとして施設で半生を送ってきたレイモンド(チャーリーの兄)を演じた、ダスティン・ホフマンの演技力が、映画ファンに強烈なインパクトを与えた。他人(社会)とのコミュニケイション障害を持つ人びとのなかには、記憶や数理・演算について驚異的な能力を発揮する天才がいるらしい。
単調な規則にしたがう自分の世界に閉じこもりがちのレイモンド。彼にとっては単純な規則にしたがって繰り返される日々の生活こそが、安住の地だった。彼にとっては、将来は現在の繰り返しであって、その人生には他人との競争や利害争いとか欲望のぶつけ合いもない。人生とは、永遠に持続する平穏だった。
これに対して、チャーリーは、金儲けのために千変万化のビズネスの世界に生きてきた。彼にとっては、金儲けのために変化を求めて冒険し、他人を出し抜くことが、人生の目標。他人は自分の利益や目的のために利用すべき手段にすぎないと割り切っていた。
だが、ずっと反目してきた父親の死をきっかけにチャーリーは、自閉症だとして精神障害者施設にいるレイモンドが実の兄だと知ることになった。
この2人が出会い、やがて互いに影響し合いながら、兄弟の絆を回復していく。ことに、利己的で孤独をいとわなかったチャーリーは、兄の独特の「個性」を理解して自らの生き方・人生を考えるまでに変わっていく。自分の人生(思考スタイルや行動スタイル)を変革していく過程、自己変革の描き方が興味深い。
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