おりしも、レイモンドを収容してる施設のブルーナー博士がチャーリーを訪ねてきた。レイモンドの保護権をめぐるチャーリーとの訴訟――家庭問題の法的紛争――をめぐる調停審問( arbitrage / arbitration )のためにロスにやって来ていたのだ。チャーリーはレイモンドの親族として保護権を要求して提訴していたのだ。
調停審問では、精神科医のマーストン博士が両者の言い分(書面・資料や口頭審問など)を聞き取った上で審決を下すことになっていた。そして、すでに収集された資料などから、ブルーナー博士側の優位は動きそうもなかった。だから、明日の審問を待っていれば、ブルーナー博士はレイモンドの保護権を確保できるはずだった。だから、この段階であえてチャーリーを訪ねる必要はなかった。
だが、チャーリーとレイモンドの父親サンフォードの親友であるとともに、自分の研究と施設の運営で、博士はサンフォードに大きな恩義を受けていた。そこで、レイモンドの保護権を守り抜く覚悟はしっかりと固めていたのだが、他方で、もう1人の息子チャーリーの権利をもできるだけ配慮したかったようだ。
せっかく出会って親密になった兄弟のあいだに変なしこりを残したくなかった。レイモンドの養護のためにも、チャーリーとの関係は不可欠だと思ったのかもしれない。
そこで、その夜、ブルーナーはチャーリーに保護権の要求を取り下げるのと引き換えに、信託遺産から25万ドルを分け与えようと提案した。
保護権をめぐる審問で、もはや勝ち目がないことをチャーリーはわかっていた。だが、幼くして兄との絆を引き裂かれた弟としての気持ちを、審問でぶつけてみようと考えていた。すると、25万ドルは貰い損ねるが、もはや遺産の分け前がどうなろうと気にならなかった。
あのレイモンドのこれからの生活を守るために信託遺産の全額が必要なら、遺産は全部ブルーナーが管理する信託基金に渡っても、今ではもう不満はなかった。それでいい。レイモンドが平穏に暮らせるなら。
だが、どうして今まで誰も、年の離れた兄の存在を教えてくれなかったのか。チャーリーにアイデンティティにとって、兄の存在は、大きな意味を持つのだ。
翌日、チャーリーはマーストン博士に、その気持ちをぶつけてみた。
6日前にはじめて実の兄がいると知った。それから6日間、兄を連れ回していっしょに暮らした。はじめのうちは、兄に腹立ったり、どうしていいかわからずにレイモンドを傷つけてしまった。だが、今では深い愛情を感じる。もう離れ離れで暮らすのは耐え難い。いっしょに暮らしたい。
そもそもレイモンド本人の意思はどうなのか。
マーストン博士は、レイモンド本人の気持ち、判断を聴くことにした。