さて話を戻して・・・ロンドンの旧中心街は、時代から取り残された。
ところが、時代の流行とは移り気なもの。
中心街は、当然のことながら、老朽化して不動産としての価値が下がっていった。
そこに、自らはもはや深刻な財政危機に陥ってロンドン中心部の都市としての再生・再開発の政策を打ち出せなくなった中央政府とロンドン市政庁が、投資を呼び込むために不動産取引と建築への規制や課税を緩和した。
再生・再開発資金を、民間資本による投資や資金調達に委ねたわけだ。
すると、1980年代後半、ロンドン中心部やテムズ河の河口付近(ウォーターフロント)の市街地への再開発投資、資産運用や投機目当ての土地買収やオフィス、住宅などの建設ブームが始まった。
古都ロンドンは、輝くような「金ぴかの美しさ」を獲得したが、由緒あるテムズや歴史的建築物のすぐ隣に高層ビルや「下品な巨大観覧車」が登場して、歴史的景観を圧迫するようになってしまった。
巨大観覧車は、半世紀後、世界各地の「ウォーターフロント」での開発バブルの「墓標」となるかもしれない。
というわけで、マダム・スザーツカが住む近隣も、再開発ブームという新たな状況=環境に直面することになった。
そういうわけで、映画には、スザーツカを取り巻く住環境=都市環境が目まぐるしく変化していく様子を描くシーンが何度も登場する。
つまり 旧い住宅が地上げ屋に買い取られ、売りに出されたり、改修したり、さらにピカピカの新しいフラットとして販売されたり、旧い住宅などが取り壊され、新たにビルやオフィス、瀟洒な住宅が建築されようとしている光景だ。
それゆえ、物語が進行するにしたがって、近隣街区の様相は変貌していく。
まだ昔からの住民や古びた建物がほとんど残っていた街区は、そのあちらこちらに不動産業者に買収され、《売り地・売り家:for sale》の立て札や看板が架けられた家屋が増えていく。
そして、そのいくつかはディヴェロッパーに転売されたのち、取り壊され、鉄筋造りの建物の建築が始まる。やがて、旧い街区の家屋のあらかたに《for
sale》の表示が掲げられ、そのいくつかは《売済:sold》の表示に変わっていく。
ついに、物語の終幕には、街区のほとんどすべての家屋の表示は《sold》になってしまい、その半分以上が新築ブームに飲み込まれていく。
映画の制作者たちは、こうして互いに絡み合う状況・文脈を取り込み、重ね合わせることで、何を表現したかったのだろうか。とにかく、厚みというか奥行きが深くて、社会学的、社会史的に大変趣深い作品に仕上がっている。
さて、話を映画の物語に戻そう。
ロンドンのダウンタウン(古くからの中心街)にある古びた邸宅。家の持ち主も老婆、エミリーで、いまは数多い部屋を貸間としている。
間借り人たちは、誰もが1人暮らし。だが、互いに身を寄せ合って、家族のように暮らしている一面もある。「擬似家族」というべきか。
1階の住人は、整体師の老人のコードルで、間借りした1室を治療室にしている。
3階には、ポップミュージシャンをめざす、キュートな若い女性、ジェニーが間借りしている。
そして、2階の住人は、マダム・ユーリーナ・スザーツカ。
彼女の母親は革命前のロシアの有力貴族の令嬢で、卓越したピアニストとしても将来を嘱望されていた。だが、革命で故国を追われ、アメリカに亡命した。
そこで、彼女はアメリカ人青年と結婚し、この映画の主人公の1人、ユーリーナ・スザーツカを生んだ。