才能豊かなピアニストだった母親は、娘の幼い頃からピアノを教え込んだ。絶対音階の音感や手指の動かし方、楽譜や曲想の理解、演奏技能などの基礎の訓練を厳格に施した。
なにしろ、有力貴族の令嬢だったから、母親は芸術家としての素養や教養、立ち振る舞いなどについて、超一流の指導者たちから薫陶を受けてきたのだ。
19世紀末から革命直前までのロシアの芸術の質の高さと革新性は、人類史上空前のものだったといわれている。
そのエッセンスを娘にも惜しみなく注ぎ込んだ。
ユーリーナは厳しい訓練を受けた。天才的な少女ピアニストが育った。
そして、十代でのデビュー。ところが、思春期の少女の心は、直面する課題の大きさに打ちのめされてしまったようだ。
プロとしてのはじめての演奏の重圧に負けてしまい、あれほど完全に頭に叩き込んだスコアの何小節かを一瞬忘れてしまった。
おそらく、一般聴衆にはさほどのこととは気づかれなかったろう。でも、我を忘れてピアノの前から走り去り、控え室に逃げ込んでしまった。
母は大した失敗ではないと慰めたが、ユーリーナは自分を許さなかった。その後も、彼女はその自分の弱さを許そうとしなかった。それ以来、演奏のプロとして聴衆の前で演奏することはなかった。
彼女が選んだ道は、ピアノ教師だった。
ユーリーナの教育方針は、母から受け継いだ方法をさらに洗練させ、徹底した基礎トレイニングと芸術家としての教養を重視するものだ。
楽想・曲想についての深い洞察と直観、それを鍵盤を叩く指と腕の動きに伝えることを求めるのだ。そこには、人間としての日常生活や立ち振る舞い、生きる姿勢が如実に反映されるのだという。
日々の生活のなかで培われる優雅で端正、品位ある姿と教養。それこそが、調和の取れた美しい音楽を生み出すと見ているのだ。
母娘の2代をつうじて開発洗練されたプログラムは、いまや「スザーツカシステム」というピアノレッスンの体系になっている。
厳格な基礎トレイニングを重視するユーリーナ・スザーツカのピアニスト養成の業績は、ロンドンの音楽界で大変に高い定評がある。これまで、幾人もの天才的演奏家やスターを生み出しているのだから。
それで、一流ピアニストとしての将来を夢見て、毎年何人もの少年少女がマダム・スザーツカの教室に入門してくる。けれども、厳しいトレイニングに嫌気をさして逃げ出す者も多い。
とはいえ、飛び抜けた才能を持つ少年少女たちは残る。彼らは、きっと、彼女の指導や教え方のなかに、直観的・本能的に、とてつもなく大事な何かを感じ取るのだろう。強く惹かれるのだ。
それこそが、天賦の才能なのかもしれない。厳しい訓練のなかに光る何か、その美しさ、楽しさを感じ取る感性・知性こそが天才の素質なのだろう。
というようなしだいで、ロンドンのピアノ音楽業界から見ると、マダム・スザーツカのもとには金の卵やダイヤモンドの原石が集まる、という評価になる。そのため、業界のプロデューサーや人材ハンターが目をつけることになる。
しかし、当のスザーツカは、そんな周囲や業界の評価・評判を知ろうともしない。
これまでにも、スザーツカは、手塩にかけて育てている最中の若い才能が何人も、いきなり手許から引き抜かれるという苦い経験を味わっている。
そのため、彼女はときどき、雛を見守る「めんどり」のようになることがある。プロの世界のスカウターが、教え子に近づかないように警戒するのだ。
自分は十分に修練を積まずにデビューの場に立ってしまった。だから、失敗して屈辱を味わったのだ。やはり、遠回りしても、基本をみっちり叩き込むべきだ、と固く信じている。
お金を稼ぐのは、後回しでいいのだ。これが、貴族の末裔のスタンスだった。
ロシアの有力貴族の末裔としての自負は、名前の表記にも現れている。 Madame Sousatzka は、どちらかというと英語表記ではなく、フランス語(それも東欧的ドイツ語風味を加えた)表記だ。ロンドンの音楽界で「異邦人」を通している。
若い女性の弟子、少女たちには、19世紀のフランス貴族令嬢の挨拶やたしなみを押し付がましく教える。そして、プロフェッショナルとしての金儲けを一段低く評価している。