第4章 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
この章の目次
ハプスブルク王朝期の「帝国エスパーニャ」の経済はどうだったのか――世界市場的文脈のなかに位置づけて眺めてみよう。
16世紀からカスティーリャでも製造業が成長した。北西ヨーロッパ向けの奢侈品として陶磁器、皮革製品、絹織物、刀剣の製造業、フランス向けの鉄鉱業と製鉄・冶金業が成長した。また、オリーヴ栽培とオリーヴ油製造、イスラム時代には禁止されていたぶどう栽培とワイン醸造が大きく発展した。
製造業のなかで最も大きな成長を達成したのが毛織物業だった。カスティーリャの毛織物業もやはり、都市の工房で卸売商人と同業者組合による厳格な品質・量目統制を受けながら営まれる生産形態と、農村の副業として分散的に営まれる生産形態に分かれていた。クエンカやコルドバ、トレードなどの諸都市が毛織物を生産し、農村副業はセゴビア一帯で営まれていた。どちらも、各工程への原材料や半製品の搬入・搬出が商人やその団体によって規制されていた。工房の親方職人が商人を兼ねている場合もあった。そして、都市の工房で作られた毛織物は品質が高かった。
毛織物産業は卸売商人層を筆頭に、王権に産業保護・育成を再三迫った。1511年には、毛織物に関する一般法令が出され、都市型毛織物製造を基準としてカスティーリャの製造技術や労働形態を統一し、域内産の製品の品質向上がはかられた。セゴビアの農村副業は再編成を迫られた。やがて技術革新と品質管理に成果をあげ、半世紀後には域内屈指の生産地帯に成長したという。とはいえ、それはヨーロッパ的規模で見ると貧弱な産業でしかなかった。それでも、製造業全般が停滞していたカスティーリャでは目立った存在だった。
16世紀半ばからは、一段と深刻な財政危機に直面した王権が毛織物産業の保護に乗り出し、羊毛の半分を適正価格で域内製造業に引き渡すことを求める王令が公布された。貴金属の流出をおそれる政府は、毛織物製品の輸入に制限をかけるようになったが、域内製造業による供給量には限界があったようだ。供給量が少ないため毛織物の価格は高かったので、しばしば輸出制限がおこなわれた。だが、アメリカ植民地を支配していたにもかかわらず、王権は輸出促進・奨励によって生産規模を拡大しようとする方策はとらなかった。ゆえに、域内産業は安価な域外製品との競争力を獲得できなかった。
しかも、16世紀以降、ハプスブルク王朝がエスパーニャとともにネーデルラントを領有したことが、カスティーリャの産業構造の転換には障害になってしまった。というのも、カスティーリャは、ネーデルラントへの原毛輸出という形態で従属的分業を押しつけられていたが、その時点で王権としては、南部ネーデルラントを犠牲にしてまで羊毛輸出を抑制し、カスティーリャの羊毛製造業を自立的な産業として育成しようという欲求はもちえなかっただろうからだ。
なにしろネーデルラント(北部諸州の独立後は南部)は、「ハプスブルク帝国」のなかでは最先端の経済的中心であって、その繁栄をくつがえすような政策は考えられなかったはずだ。要するに、ネーデルラントもカスティーリャも同じ平面の上で扱ったわけで、結局、強いものが優位に立ち続けることになった。カルロスからフェリーぺに2代続いた帝国政策は、ヨーロッパの政治的・軍事的舞台での華々しさとは裏腹に、エスパーニャの経済的従属を固定化してしまう役割を演じたということだ。
さて、遠距離貿易を営むブルゴスの有力商人たちは、蓄えた富をもとに市域や近隣に農地や牧草地を獲得し、自ら地主として所領経営をおこなった。農村には壮大な館を建て、貴族の生活様式を模倣した。だが、成功した商人たちは貴族=官職を買い取って免税特権を享受し、王室からの年金俸禄や公債の金利や年金、地主領主としての地代収入に依存することになり、商業活動から身を引いてしまった。これはカスティーリャ商人のライフスタイルになったようだ。つまり、商業には見返りが小さかったということだ。
王権はヨーロッパでの帝国政策のために、絶えず都市団体や商人団体に賦課金を要求したから、貴族=官職身分への転身は酷税による収奪からの逃げ道でもあった。もっぱら都市代表の身分集会となった総評議会は孤立し無力で、王室の顧問会議もまた域内都市と商業の発展には冷淡で、ヨーロッパ貿易や産業保護などについて、カスティーリャ商業資本の利益を王権の政策に織り込んでいくための装置としては機能しなかった。王権中央装置の周囲に結集したのは、商人としての行動スタイルを捨てて貴族になった「もと商人」たちであって、仮借ない利潤追求をめざす「商業資本の人格化」としての富裕商人ではなかった。
それが、エスパーニャという地域の個性であって、エスパーニャの権力構造と経済構造を特徴づけることになったのだ。
しかも、16世紀末頃には、ネーデルラントをめぐるエスパーニャ王権と独立派諸州、イングランド王権との抗争のなかで、カンタブリアとフランデルンを結ぶ交易路は危難を迎えた。イングランドとネーデルラントの私掠船による海賊行為で、輸出事業は大きな損害を受けたのだ。しかも、貴金属の域外流出を抑えるため、王権はカスティーリャへの毛織物輸入には重い関税を課した。そのため、ブルゴス商人の遠距離貿易は深刻な打撃を受けた。羊毛の販売価格は低迷したのに、カスティーリャ全域での地代上昇のために羊毛買い付け価格は高騰した。羊毛貿易での利潤は激減した。メディーナの大市も衰退し始めた〔cf. 大内〕。
そして域内商人の衰退とは対照的に、羊毛も含めた貿易の船舶輸送にも、北西ヨーロッパの商人たちが、すぐれた船舶と輸送技術、迅速で安価な輸送を武器に参入してきた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成