第4章 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

この章の目次

エスパーニャ史のパラドクス

1 イスラムの支配とレコンキスタ

ⅰ ローマ期から西ゴート王国まで

ⅱ イスラムの支配

2 イスラム支配の黄昏とレコンキスタ

ⅰ イスラム王権の衰退

ⅱ レコンキスタの優越

ⅲ イスラム王朝の滅亡

ⅳ イスラム期の都市と商業

3 レコンキスタとキリスト教諸王権の展開

ⅰ キリスト教君侯権力の形成

イスパニア北東部とフランスとの結びつき

ⅱ 諸王権の支配圏域の拡大

ⅲ レコンキスタがもたらした社会的刻印

ⅳ メスタ評議会とカスティーリャ王権

ⅴ アラゴン・カタルーニャの地中海進出

4 14―15世紀の危機と諸王国

ⅰ アラゴン、カタルーニャの停滞

ⅱ カスティーリャの危機と羊毛貿易

ⅲ カスティーリャ王権と貴族、地方都市

ⅳ 同君連合としてのエスパーニャの成立

5 カスティーリャ王権の集権化とその限界

ⅰ カスティーリャ王権の再編

ⅱ 国家装置としての異端審問制度

集権化と言語

ⅲ 王権による都市支配の拡大

ⅳ 王権とメスタ評議会

ⅴ グラナーダの征圧

6 アラゴン王国の併合とイタリア進出

ⅰ エスパーニャ王権の統治思想

ⅱ アラゴン地方の分立構造

ⅲ イタリアへの進出

7 アメリカ大陸への進出と植民地経営

ⅰ 征服と植民地での経営

ⅱ 植民者と本国による統制

ⅲ アメリカ大陸での分業体系

8 「帝国政策」とエスパーニャの凋落

ⅰ ハプスブルク王朝と「継ぎはぎの帝国」

ⅱ 都市の反乱と王権の再編

諸王国と域外領地

インディアス会議とアメリカ植民地

ⅲ 虚像としての帝国

9 エスパーニャ経済とアメリカ貿易

ⅰ カスティーリャ域内経済の疲弊

ⅱ 新世界貿易の影響

ⅲ 帝国政策の代償

三十年戦争

10 ポルトゥガルの併合と分離

11 エスパーニャの分裂と没落

ⅰ エスパーニャ社会における王権と宗教

ⅱ 持続する分裂要因

ⅲ カタルーニャの反乱と戦乱

ⅳ 王権と国家形成

ⅲ カタルーニャの反乱と戦乱

  1635年フラン王権は公式に30年戦争に参加し、エスパーニャとオーストリアに宣戦した。エスパーニャ王は王軍を派遣し、フランス南西部に襲撃を加えることになった。カスティーリャやイタリアで徴募された兵団は、いったんカタルーニャの農村や諸都市に集結・駐屯し、そこからピレネーを越えて出撃することになった。
  カタルーニャの民衆は、カスティーリャ王権からフランスとの戦役のために派遣された軍隊がもたらす財政的負担と暴力にあえぐことになった。とくに農村部では、カスティーリャ人やイタリア人の傭兵部隊による横暴と掠奪に耐えかねていた。当時の軍の駐留や補給の方法の「常識」として、食糧と戦費、宿は現地調達だったのだ。ついに1640年にはバルセローナの民衆が蜂起し、副王を殺害した。今度は農民層も都市の蜂起に呼応した。鎮圧のためにカスティーリャ王権は軍を派遣して王国の統治に介入し、主要な諸都市を包囲した。
  カタルーニャ政庁はカスティーリャ王権への降伏を拒否し、フランス王ルイ13世への臣従を宣言した。おりしも、フランス王軍がピレネー地方に侵攻していた。だが、来援したフランス王権の傭兵部隊も掠奪に走った。カタルーニャはエスパーニャ王軍にもフランス王軍にも蹂躙されたのだ。カタルーニャ諸都市は、すでにエスパーニャ王軍の長期にわたる包囲で消耗し、疫病も蔓延していた。ついに1652年、バルセローナがエスパーニャ王に降伏した。翌年、フェリーペ4世がカタルーニャの法と諸特権を従来どおり尊重する誓約をして、反乱は終息した〔cf. 増井〕
  ところが、フランス王軍は1659年までカタルーニャにとどまった。この年のピレネー条約でルシヨンをフランスに割譲することで、やっと戦乱が収まった。残されたのは、疲弊したカタルーニャだった。

  ポルトゥガルでも1640年にブランガサ公がエスパーニャからの独立を宣言し、ネーデルラントと同盟してエスパーニャと戦いを始めた。たが、エスパーニャ王権はカタルーニャの反乱の鎮圧に気を取られていて、このときにはポルトゥガルには十分手が回らなかった。同じ頃アラゴン、アンダルシーア、ナーポリでも蜂起が起きた。

  さて、1665年のフェリーペ4世の死後、幼年のカルロス2世が王位継承したが、王族および有力貴族による勢力紛争や国務会議各部局の専断――たとえばモンタルト公は国務会議を牛耳った――で宮廷は混迷した。フェリーぺの遺命によって摂政となった王妃は、生家のオーストリア王室の利害と意向に沿って幼い王(息子)を動かし、宮廷の権威をさらに衰微させてしまった。
  まもなく地方では、広大な領地をもつ大貴族たち、カスティーリャのベラスコ家やアンダルシーアのエンリーケス家が王室の代理人然として振る舞うようになったという〔cf. Vincent / Stradling〕。アラゴンやカタルーニャは王権の混乱に乗じて自立化をねらった。17世紀末には事実上、マドリードの王権中央政府は消滅していた。

  他方、フランスではブルボン王朝の権力が拡大し、域内の集権化を進め、イベリア方面でも強力な軍事力を動かすようになった。ヨーロッパ大陸での優位を賭けたフランス王権との戦争で、エスパーニャは敗北を続けた。1667~68年のフランデルン戦争と72~78年のネーデルラント戦争の結果、フランデルン諸都市とフランシュコンテを奪われ、プファルツ継承戦争ではカタルーニャの一部が占領されてしまった。
  1700年にはついにハプスブルク家は断絶し、王位継承問題では結局、政略結婚でエスパーニャ王族に仲間入りしていたブルボン家のアンジュー公フィリップが後継者になった。だが、ヨーロッパ諸国家体系のなかで諸王権の利害対立から王位継承戦争になった〔cf. 増井〕。こうして、エスパーニャは有力な諸王権の勢力争いの主体から客体――有力王権の従属的パートナーとなったり、属領・植民地を奪われたりする――に滑り落ちてしまった。

ⅳ 王権と国家形成

  17世紀末におけるエスパーニャという地理的規模で見ると、王権の動きは、国家形成あるいは国民的凝集の枠組みの形成という点では失敗だった。エスパーニャは、当時のヨーロッパの国土としては飛び抜けて大きいフランスと比べても、さらに大きかった。そこに1000万近くの人口が配置されていた。そもそも、当時のテクノロジーでは軍事的・政治的に統合できる面積ではなかったし、じっさい当の王権も国家的統合を考えなかった。かろうじてカスティーリャという規模で、しかも統合性がかなり低い状態で国家形成が断片的に試みられていたにすぎない。
  ところが、そのカスティーリャでも、王権と結合した商業資本の権力ブロックを形成することができず、上級貴族の地方特権を切り崩して行財政の集権化を進めることはできなかった。
  歴代のエスパーニャ王とその側近たちは、ヨーロッパ世界市場の形成にともなって諸国家・諸王権のあいだの競争の構造が転換したのに気づかなかった。域内の商業資本と製造業を保護育成して世界貿易での優位を確保することが、王権の財政的力量を上昇させ、膨張する軍事支出やヨーロッパ政策の費用をまかなう道だという発想にはたどりつかなかったのだ。また、王権と商業資本との結びつきが、域内の小王国や貴族の自立性を掘り崩して王権による集権化を達成していく手段になることも、経験から学び取ることがなかった。
  そのため、イングランド、フランスのような重商主義的体制を築くことができなかった。つまり、域外商業資本の域内への支配力に政治的障壁を設けて、産業構造を高度化し、域内商業資本の権力を増幅して域外での利潤獲得競争を促進し、世界経済のなかで自己中心的な分業体系を組織していく道にエスパーニャが進むことができなかった。広大な海外植民地もまたイングランドやフランス、ネーデルラントに蚕食され、経済的に切り取られ、それら諸国民に従属するようになっていった。

  ということは、この時代のヨーロッパでは、最優位にたったネーデルラントはいうまでもなく、イングランドとフランス(北部)がむしろ特異な構造・状況だったということだろうか。とにかく、それぞれの王や宮廷とそれを取り巻く諸階級の思想や行動様式は、彼らが主観的に選び取ったというよりも、彼らが置かれた状況と構造の産物だったというべきだろう。
  だが、ひとたびイングランド革命が成功し、フランス絶対王政が確立され、それまでとはけた違いに強力で中央集権的な国家組織が形成され始め、それゆえまた世界経済での経済的・軍事的競争のありようが構造的に変動してしまうと、それらに続いて強力な国家形成をめざす者たちは、国家として生き残る道としてイングランドとネーデルラント、そしてフランスをモデルにすることになった。このことが、近代ヨーロッパの政治思想や国家理論を呪縛することになった。そのモデルが歴史や社会を認識する尺度となっていくことになったのだ。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

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序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望