第8章 中間総括と展望
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世界市場は優劣ないし支配=従属の序列関係をともなう権力構造をなしている。この構造のなかでのそれぞれの団体や地方、地域の相対的地位――権力や影響力の相対的な大きさ――は、世界市場総体の社会的分業体系において与えられる。社会的分業とは、単一の社会システムとしての世界市場に包含された各地方・地域、各団体に経済的再生産をめぐるさまざまな活動・役割が割り当てられている状態のことだ。各地方・地域、各社会組織は、社会的分業体系のなかで担う役割に応じて、その地位の優劣を決定されるのだ。
それゆえ、各地方・地域や各団体が富や権力をめぐって争うということは、それを自覚していようがいまいが、客観的には社会的分業体系における役割=地位をめぐって競争し合うということになる。ここでは、この競争での優位をめざす運動と関連させて、各地方・地域や団体の政治的組織形態――軍事力も含む――を分析する。
さて、領域的な政治的支配をめざす動きは、まず最初に13世紀までに地中海貿易圏で相互に最優位を争い合っていた北イタリアの有力諸都市で始まった。都市国家形成への動きで、ヴェネツィアやジェーノヴァ、ミラーノ、フィレンツェなどの有力商業都市が周囲の中小都市や農村をコンタードとして支配し、その内部では都市政庁ないし都市君主よりも上位のいかなる権力も排除しようとした。
次の世紀には、北海=バルト海貿易圏で優位を確保した北ドイツのハンザ同盟諸都市で、やはり領域的な統治への傾向が現れた。だが、そこでは多数の地方領主たちが大小さまざまの領邦君侯権力を形成しようと競争する政治的・軍事的環境にあって、都市の優位は北イタリアほど圧倒的なものにはならなかった。
やがて都市に優越する君侯たちによる領域国家の形成競争が始まり、ヨーロッパ諸国家体系が出現することになった。この政治的・軍事的競争は、ヨーロッパの主要な貿易圏が融合して世界市場が形成されていくという文脈を背景=環境としていた。
では、都市国家を含む領域的支配ないし領域国家の形成は、世界市場競争にとってどのような要因をもたらしたのだろうか。イタリアの都市国家群やリューベックなどの北ドイツの有力諸都市は、自らを政治的に組織化し軍事力を備えることで、何を求めていたのだろうか。
そして、とりわけ17世紀末までに国民国家的な政治的凝集ないし絶対王政の確立に成功した地方・地域――ネーデルラント、イングランド、フランス、スウェーデンは、ヨーロッパ世界経済のなかでどのような有利な条件を得ることができたのだろうか。
まず言えることは、それは、在地の富裕商人層(商業資本)の結集のために政治的枠組みを提供し、中央政府を自ら組織するかあるいは君主権と同盟して、自ら1個の自立的な政治的・軍事的単位として動く能力を獲得し、世界市場における通商競争を戦い抜くメカニズムを創出できたということだ。
そうであるにしても、都市の商業資本が統治権力を掌握するにさいしては2つの形態があって、それは2つの局面を表している。
1つめは、商業資本が直接に都市権力を掌握・組織する場合であって、北イタリアの都市国家群やハンザ諸都市がこれに当てはまる。都市財政は商業会計原則で管理されたので、支配領域がかなり小さいにもかかわらず周囲の領主たちに対して優越する政治力や軍事力を備えることができた。
2つめは、支配圏域の拡大競争をし合う領主層のなかから出現した有力君侯の権力(王権)が、経験から学びながら域内在地の商人団体を優遇して特権的地位や高位の官職を与え、宮廷や行財政機構にリクルートするという形態だ。とはいえ、王室財政の管理・運営は「どんぶり勘定」の状態が長らく続いて、なかなか商業会計原則が浸透しなかった。都市国家や都市政庁に比べて徴税制度は未熟で、財政運営は放漫だった。
ところが、君侯権力(王権)は、未熟で非効率な財政組織しか備えていなかったが、その支配領域が都市国家や都市政庁に比べてけた違いに大きかったため、総体としてはるかに強大な政治権力や軍事力を保有することができた。だが、都市権力に比べてけた違いの権力を掌握しているがために、域内在地の都市商業資本を優遇・保護することを学ぶことなく収奪の対象とし続けてしまう場合もあった――エスパーニャやポルトゥガル。こういう場合には、長期的には君侯権力・王権は衰退していくことになった。
15-16世紀には、ヨーロッパ世界市場――その政治的・軍事的環境としての諸国家体系――での勢力争いがきわめて熾烈化したため、規模の小さい都市国家群や都市同盟の優位は失われてしまい、強大な諸王権が主導権を握るようになった。相争う諸王権は、政治権力や軍事力を拡大するために財政装置を拡充する必要を経験的に学び、財政収入を増大させるために商業資本と結びつき同盟するようになった。
だがそのさいにも、域内在地の幼弱な都市や商人団体を優遇育成するよりも、域外のより富裕で有力な商人団体からの――手っ取り早く目先の利益が大きい――財政支援に依存する構造から、域内在地の都市や商工業を保護育成し、長期的な視野で財政基盤を強化していく方法を、試行錯誤のなかから習得したのだ。王権によるこの学習過程の典型例は、15-16世紀のイングランドに見られる。ロンドンの冒険商人組合が成長し、王権との同盟を結成していく経緯を見よ。
上記の2つの形態の中間に、ネーデルラントのユトレヒト同盟の連邦国家形成の試みがある。都市国家ないし都市同盟と王権国家の中間にある過渡的形態と見ることもできるだろう。
それぞれに小規模な領邦を支配する有力諸都市――都市国家と呼ぶべきほどに自立性をもつ――が、エスパーニャ王権からの独立をめざして緩やかに同盟して、「共和政連邦国家」を形成したのだ。連邦の外交政策や戦争・軍事の指導者として、域内最有力の君侯オラニエ家門を配置しながら、その権力を都市同盟が牽制する統治構造を構築した。それはヨーロッパ世界経済におけるネーデルラント諸都市の同盟の再優位の政治的・軍事的表現形態だった。
だがそれは、フランスやイングランドなどの諸王権が十分に強大化する以前の政治的・軍事的環境でこそ成立し存続可能な国家組織形態だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成