戦艦ビスマルク撃沈 目次
原題と原作について
見どころとテーマ
あらすじ
巨大戦艦の進水式
「美しい戦艦」ビスマルク
戦艦ビスマルクの概要
大艦巨砲主義の終焉
ビスマルクの戦略的課題
ナチスの戦略の浅はかさ
ブリテン海軍参謀部の刷新
ビスマルクの探索
ドイツ海軍指揮系統の混迷
ブリテン海軍の索敵作戦
デンマーク海峡の海戦
フッド撃沈のインパクト
ビスマルク包囲網
偶然はどちらに微笑むか
驚異的な船体安定性
映画の人間ドラマ
  シェパード大佐
  アン・デイヴィス
  作戦はギャンブル
  家族愛ゆえの苦悩
  ビスマルクでの人間関係
超弩級戦艦は「袋小路」
大艦巨砲主義の虚構
日本艦隊の陥穽
国家の戦略的ポジションの問題
軍備とは不合理なもの?!

ブリテン海軍参謀部の刷新

  1940年秋、ドイツ海軍が最新鋭の超弩級戦艦ビスマルクと戦艦ティルピッツを就役投入したことで、北海ならびに北大西洋での戦力バランスは大きく変わったかに見えた。状況に対応して、ブリテン王国海軍司令部は、翌年早々、作戦部組織の刷新を試みた。

  新たに作戦部長( director of the operations division : DOD )に就任したのは、シェパード海軍大佐だった( Captain :海軍ではキャプテンは艦長資格を持つ大佐)。
  大佐は、傷害から回復後、司令部勤務となり、今回の組織改変で抜擢された。以前は、洋上の艦隊で巡洋艦の艦長をしていたが、海戦でドイツの艦船によって撃沈され、自身重傷を負って、その後長い治療とリハビリを受けていた。
  ようやく傷が癒えて自宅に戻ろうとしたが、ロンドン市外の、自宅のあった地点は、ドイツ軍機の空爆で巨大な穴が穿たれ、周囲には瓦礫が飛び散っていた。退院・復帰したシェパードを温かく迎えるはずの妻は、家とともに吹き飛んでしまった。
  そのときから、シェパードは性格が一変した。
  上官や同僚、下僚からは、「感情を捨てた明晰で冷徹な頭脳」と評されるようになった。彼にはもはや打ち解けた仲間や友人はいなかった。ただ、ナチスを打ち破ること、それだけが目標となった。

  ドイツが超弩級戦艦2隻を洋上の戦役に投入したことで、ブリテン海軍は艦隊の配置と戦略の練り直しを迫られていた。ティルピッツは、就航直後でまだ試験航海での調整と補修、艤装が未了だったから、当面の課題はビスマルクの探索と捕捉・攻撃ということになった。

  海軍省と海軍司令部は、最新の状況下で、北海から北大西洋にかけての作戦と艦隊編成について再検討を進めようとしていた。そのさい、作戦参謀として寛容も温情も許さない冷徹な頭脳を求めていた。シェパードはまさに打ってつけの人材だった。
  ところで、当時、海軍司令部はロンドン官庁街の地下に設営されていた。ドイツ空軍の攻撃が激化していたからだ。

  シェパードは就任早々、作戦部の意識と行動スタイルの刷新を断行していった。
  前線と同じ緊張感をもって厳格な指揮命令で動く組織に組み換えようとした。勤務時間中は、制服着用を義務付け、食事も厳禁。いかなる理由があっても、作戦部長が指示した勤務ロウテイションを厳守するものとした。
  それまで、海軍のエリート士官たちにはブリテン特有の貴族的で自由な雰囲気が漂っていたが、シェパードはそれをまさに規律本位の軍事組織に変えようとしたのだ。シェパードは、それくらい事態は差し迫っていると認識していた。

  ところで、ブリテン海軍司令部のシーンでの登場人物とその人物や行動の描写は、映画を面白く見せるため全面的に脚色され、ほぼフィクションの設定となっている。
  こうした脚色=フィクションは、ドイツ戦艦ビスマルク側の登場人物の描写にも適用されている。それについては、物語の展開のつど、私が知る限りでの「推定事実」と比較する。実際の戦況(に近い状況)を想起するために。
  ただし、洋上での戦闘場面については、ブリテン海軍の艦隊司令部資料にもとづいて、かなり事実に忠実に再現していると思われる。

ビスマルクの探索

  1941年5月18日、戦艦ビスマルクは、コードネイム「ライン実戦演習」作戦を開始した。
  この作戦の狙いは、計画では、ビスマルクに率いられた艦隊がバルト海から外洋に出撃し、敵側の探索補足網をかいくぐって、ブリテン諸島の北側から北大西洋に進入して「通商破壊」を試み、北フランスに帰港するというものだった。
  作戦に投入を予定された艦船は、ビスマルクのほか、重巡洋艦プリンツ・オイゲン、グナイゼナウ、シャルンホルストの4隻だった。もし全部揃えば、恐ろしいほどの破壊力を備えた艦隊となっただろう。
  ところが、グナイゼナウは機関故障で、シャルンホルストは戦闘による損傷箇所の修復でドックに入っていたため、出航不能だった。
  それにしても、巨大艦艇だけから編成された艦隊という構想は、この時代の艦隊思想からかなりずれていたことは確かだ。これもドイツ海軍の無策ぶりを示す事態ではある。

  作戦投入直後、バルト海東部のスウェーデン領ゴートラント沖合いを遊弋中のビスマルクが、スウェーデン海軍巡洋艦によって補足され、追跡を受けた。
  が、速力の差と巧妙な回避行動によって、ビスマルクはスウェーデン巡洋艦を振り切った。その後、ビスマルクはズント海峡を通り抜けて、北海に出たものと見られる。
  その後、ビスマルクは僚艦プリンツ・オイゲンとともに、ノルウェイのグリムシュタッドフィヨルド(ベルゲン近傍)に停泊した。その姿は、ブリテン空軍の偵察機スピットファイアによって補足され、航空写真に写し撮られた。
  ブリテン海軍は、ただちに航空攻撃隊を派遣したが、近隣にドイツ艦は見当たらず、攻撃は不発に終わった。それでも、ノルウェイに潜伏する工作員が、僚艦をともなってベルゲン沖合いを西方に航行するビスマルクを発見した。
  しかし、その後、ドイツ艦隊の行方は不明になった。

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