さて、戦艦ビスマルクには、DODシェパード大佐の好敵手、ドイツ海軍提督リュティエンスが艦隊司令官として乗艦し、リンデマン艦長を指揮していた。
映画では、リュティエンス提督は、きわめて傲岸不遜な権威主義者にして、熱烈なナチス党員、ヒトラーの崇拝者として描かれている。そして、冷静で海戦に熟達した艦長をないがしろにして、無謀な戦術を試みる。
ところが、提督の実像は、映画とはまったく異なるらしい。
むしろ、彼は、正規の軍事教育を受けた多くのエリート将官と同じように、ナチスに批判的だった。何度か公然と作戦構想を批判したために、冷や飯を食わされていたらしい。
なにしろ、ヒトラー(その取り巻きの参謀たち)は、正規の軍事教育を受けていないくせに、自信過剰で、海戦や作戦の現場に直接口出しして、幾度となく、現場の司令官や指揮官を困惑させ、防備や兵員にかなりの被害を出していた。
とりわけ海戦や艦隊作戦では、数多くの失敗を重ねていたらしい。そのため、海軍の多くの将官のあいだには、ヒトラーと参謀本部への不信や不満が蓄積していたようだ。
ビスマルクに乗艦していた前任の提督もまた、ヒトラーと参謀本部の指揮には辟易していた。そのため、ライン演習作戦の直前の作戦では、実際の戦況に即応し、ヒトラーと参謀本部の命令を無視して、ブリテンの戦闘艦艇を撃破した。
そのため、ヒトラーと参謀本部の反感・不評を買って、艦隊司令官を解任されてしまった。
その代わりに送り込まれたのが、リュティエンス提督だった。だが、彼もまた、前任の提督と同じ考えだった。
だが、ヒトラーと参謀本部は、ライン作戦では、あらかじめ現場の艦隊司令官を拘束するさまざまな規制の手立てを講じていた。ゆえに、リュティエンスは、海戦の具体的な状況にかかわりなく、とにかく艦隊戦を回避しまくって名目上(形のうえだけ)の「通商破壊」のための実戦演習に赴くしかなかった。
いわば、艦隊司令官がリスクマネジメントができないような作戦だった。つまり、作戦の構想そのものが、ビスマルクの危難を呼び込むような内容だった。
リュティエンスは、両手両足を縛られたようなもので、きわめて沈痛かつ抑鬱状態で、作戦に臨んだようだ。あるいは、自滅を予感していたか。
そのため、リンデマン艦長とは戦術をめぐって対立し、ビスマルクの行動はきわめて首尾一貫性を欠いたものとなった。
さて、ブリテン海軍は、戦艦ビスマルク(と重巡洋艦プリンツ・オイゲン)をノルウェイの西方沖で見失ってしまった。事態を受けて、海軍司令部は、今後のブリテン艦隊によるビスマルクの探索・追跡のための方策を検討した。
作戦部長シェパードは、戦艦ビスマルクの今後の予想進路として3つのルートを想定していた。
1つめは、グリーンランドとアイスランドのあいだのデンマーク海峡を通過して北大西洋に抜ける経路。
2つめは、アイスランドとシェトランド諸島ないしはオークニー諸島(スコットランド沖合い)のあいだを通過して、やはり北大西洋に出る経路。
この2つは、北大西洋でブリテンの輸送船団に対する攻撃・破壊をめざす作戦のための航路だ。
そして、3つめは、ノルウェイ西方から北海を南下して、ドイツ軍が支配する北フランスないしネーデルラントの港湾に帰航する経路だ。
これまでのドイツ艦隊の作戦行動とリュティエンス提督の性格から見て、ビスマルクと僚艦は北大西洋での通商破壊に赴く確率が大きいと判断した。
そこで、ブリテン艦隊を大きく3つに分けて、この3つの予想進路の警戒・索敵活動に当たらせるが、重点は北海から北大西洋への出口に置いて、それら2つの予想進路での警戒と索敵により手厚く戦力を配置することにした。
ところが、そのためには、ブリテン周辺海域を防衛する艦隊の現有戦力では不足する。そこで、司令部としては、北大西洋と地中海に配備された艦隊から火力や機動性にすぐれる艦船を割いて、回さなければならなかった。
北大西洋からは巡洋艦アレスーザを、またこれから2万人の兵員を乗せて中東(地中海西部)に向かう輸送船団を護衛して地中海に航行するはずの空母ヴィクトリアスと戦艦レパルスを、ビスマルク探索・警戒に回すことにした。
けれども、それは、それらの海域で海洋航路と輸送船団の防御と護衛に当たるべき艦艇であって、配置転換は、まさにドイツによる通商=輸送破壊への防御力を大きく低下させるはずの作戦だった。
判断を誤れば、甚大な打撃を受けるかもしれない「賭け」だった。
この作戦によって、デンマーク海峡には巡洋艦サフォークとノーフォークを派遣し、戦艦フッドとプリンス・オヴ・ウェイルズをアイスランド沖に沿って西進させて、デンマーク海峡から北大西洋への出口に向かわせることができた。
しかし、ウェイルズは建造されたばかりで、なかば試験航行の途上にあった。戦闘能力はきわめて不十分だった。
いまだ技術的・機械的な調整のために、100人の民間技術者も乗船していた。彼らもまた、海戦に巻き込まれることになった。