ブリテン海軍司令部は、すでに戦艦ロドニーを船団護衛から外してブリテン北西海域に派遣していた。
ビスマルク補足・撃破のためにはそれでも足りないと判断したDODシェパードは、大西洋と地中海西部に配置されたすべての主力艦と空母を、対ビスマルク包囲網のために回す作戦を提案した。
無謀な作戦だが、チャーチルの命令に従うにはもはやそれしかなくなったのだ。
巡洋戦艦レナウン、巡洋艦シェフィールド、空母アークロイヤルが地中海を出て北に向かった。
ところが、ビスマルクが大きく航路を転換すれば、追撃網の外に逃れ、作戦は空振りに終わる危険性もあった。
さて、スコットランド沖の遥か北西の海上では、戦艦キング・ジョージ5世とレパルスを主力艦とする大艦隊が、ビスマルクの予想進路に向かっていた。
一方、5月24日夕刻近く、空母ヴィクトリアスはビスマルクから150マイルまで接近して、艦載機による雷撃を試みた。複葉型艦載爆撃機フェアリーソードフィッシュの編隊が、ビスマルクを発見して、魚雷攻撃をおこなった。
魚雷のほとんどはかわされてしまったが、1発だけが左舷前方(船首付近)に命中した。ところが、装甲がとくに厚いところで、ごく表層の破壊にとどまり、ビスマルクの能力には影響がほとんどなかったという。
ビスマルクは舵を大きく南に向けて航路を変えた。
そのあと、ビスマルクはジグザグの進路を取ったために、ブリテン海軍はまたもや位置を見失ってしまった。
キング・ジョージはビスマルクの南下速度を読み違えていて、遭遇できなかった。大回りしてから南に航路を変えたが、もはや追いつく見込みは消えた。5月25日から翌日夕刻近くまで、ビスマルクはブリテン海軍の迎撃態勢から自由になることができた。
レイダーもまだ未発達で、まして航空戦力がごくわずかで軍事衛星もない時代、広大な海洋での索敵と迎撃態勢の成否は、偶然に大いに依存していた。艦隊による索敵警戒の能力の限界を超えてずっと広い海域をカヴァーするためには、航空機動戦力が必要だった。
偶然は、ブリテンに微笑んだ。
たまたま、北アイルランドからアイルランド西方沖の大西洋にかけて哨戒する王国空軍沿岸コマンドの偵察機が、大型艦から漏れ出たと見られる燃料オイルの筋を海面に発見し、海軍司令部に通報した。
王国海軍は、その痕跡から割り出した方面を探索した結果、ふたたびビスマルクの位置を捕捉した。
迎撃に向かったのは、空母アークロイヤルとレナウン、シェフィールドだったが、艦隊司令部はそれぞれ別個に暗号電信で連絡したため、艦船相互の連絡は欠落していた。
そして、艦載機ソードフィッシュ編隊が空母を飛び立ったのちになって、はじめて空母から見て、ビスマルクに向かう位置の前方に、速力にまさるシェフィールドが航行していることが判明した。
だが、ソードフィッシュ編隊は、このシェフィールドをビスマルクと誤認して、雷撃を開始していた。
船影が僚艦だと判明するまでに、すでに何回かの攻撃がおこなわれていた。さいわいにも、装備したすべての魚雷が開発途上の磁気雷管だったために、着水直後に爆発して、シェフィールドへの被害はなかった。
態勢を立て直して、艦載機編隊がようやくビスマルクに向かって攻撃をかけたのは、夕闇が迫ろうとしている時刻だった。そのため第1波の雷撃しかできなかった。
しかし、その攻撃で1発の魚雷がビスマルクの船尾付近に命中した。とはいえ、敵艦の被害状況も確かめる余裕もなく、複葉機の編隊は撤収した。
ところで、この魚雷はビスマルクの操舵と推進力に致命的な打撃を与えていた。魚雷は舵そのものと操舵用ミッションのギアを破壊していた。
そこで、ビスマルクは思う方向に操舵できなくなり、速力もわずか7ノットになってしまった。この戦艦は、もがいているうちに、進行方向が逆向きになってしまった。
航行能力を失った巨艦は、もはや砲撃と雷撃の餌食となるしかなかった。
この状況を知ったブリテン司令部は、キング・ジョージとロドニーを主力とする艦隊を急派した。
一方、ビスマルクは、5月27日未明からブリテンの駆逐艦隊の執拗な追跡と攻撃に悩まされ続けていた。そして、夜明けから数時間後、キング・ジョージとロドニーがビスマルクの進路に立ちふさがった。
わずか7ノットの速力では、照準精度の高い戦艦の主砲の格好の的になりやすい。それに対して、キング・ジョージは27ノットの速力で回避行動を取りながら、余裕を持って主砲の照準調整をおこないながら、攻撃を仕かけた。
戦果は一方的だった。ブリテン戦艦の砲撃は、半分近くが命中。しかも被弾はなかった。ビスマルクは多数の砲弾を浴びて、艦橋は鉄くずの残骸になりかけていた。
だが、キング・ジョージの燃料が残りわずかになったので、最後のとどめを刺すのは、あとから追いついた駆逐艦隊となった。駆逐艦隊は、水雷攻撃を続行して、ビスマルクを海中に静めた。
これが、ビスマルクの最期だった。