索敵活動としては、この作戦は的中した。
サフォークとノーフォークのレイダーは、グリーンランド南岸沖を西南西に航行するビスマルクとその僚艦を補足した。けれども、この2隻の巡洋艦は、ビスマルクとオイゲンの主砲の威力を見せつけられて、絶えずその射程範囲から逃れて、20マイル以上離れて追跡しなければならなかった。
そのため、ふたたびドイツの2隻を見失ってしまった。
けれども、フッドとプリンス・オヴ・ウェイルズは、海峡の出口でビスマルクとオイゲンに追いつくことができた。ここで、艦隊どうしの戦闘が始まった。
このときフッドは、ビスマルクとオイゲンとを取り違えていたらしい。
誤りに気づいて、主砲の照準を変更したが、そのあいだにオイゲンの主砲の砲弾を受けてしまった。
そして、ビスマルクの主砲がフッドの船体の中央に命中して、機関部と弾薬庫にも火が回って大爆発し、船体は2つに折れて沈没。1500人の乗組員のうち救出されたのはわずか3人だったという。
ビスマルクの主砲の火力の恐るべき威力だった。
残されたウェイルズは単独でビスマルクと戦うことになった。
ブリテンの最新鋭の戦艦だが、ビスマルクに比べると見劣りがした。それでも、主砲の一斉射撃でビスマルクの左舷中央のやや全部に命中させた。が、効果は軽微な損傷にとどまった。
逆に、ウェイルズは艦橋の前部に被弾して、戦闘能力の大半を失ってしまった。あとは退避するしかなかった。
煙突から大量の煙幕を吐き出して、ようやくビスマルクの射程外に逃れ出ることができた。
だが、両軍ともに思わぬ「計算違い」が起きて、それが戦闘の帰趨にそれなりの影響をおよぼしたようだ。
ビスマルクは、その主砲のあまりの威力に、射撃時の爆風と熱風を受けて艦橋前部のレイダーが損傷して(爆風による振動と歪みが原因か)、艦の前方の索敵能力の大半が失われてしまった。レイダーの設置位置が低すぎて主砲発射の衝撃をまともに浴びてしまったようだ。そのため、オイゲンを先行させて、前方の索敵・警戒に当たらせた。
巨大主砲の射撃時の爆風は甲板上の兵員を吹き飛ばし致命傷を負わせるだけでなく、比較的低い位置にある構造物を破壊してしまうのだ。
一方、フッドは敵艦2隻のうちの前の方をビスマルクと誤判断して、戦闘態勢を取ったために、照準の再調整をしながら敵艦2隻を同時に敵に回すという不利な戦いに持ち込まれてしまった。
どんな戦争でも個々の戦闘は、まさに偶然や偶発的状況に左右されるのだ。
デンマーク海峡の戦いは、5月24日の早朝に終わった。
ビスマルクのリュティエンス提督は、プリンツ・オイゲンを単独でブレストに帰還させた。ビスマルクは、単独で北大西洋を続航することになった。2つの艦の速力に差が出たからか。
しかし、ビスマルクは燃料貯蔵庫に被弾したために重油が200トンほど流出したことから、今後の作戦航路の航続距離を考えると、速力は20ノットに制限されることになった。また、修復作業も必要になった。
さて、映画では、戦艦フッド撃沈と全艦プリンス・オヴ・ウェイルズ大破のニュウズが、ブリテン国家と民衆の士気に大きな影響力をおよぼした状況を描いている。
その意味では、まさに戦争は「政治の外延的延長」ということだ。
ところで、戦艦フッドはかなり老朽化していて、装甲や防御性能はもとより、砲撃の火力も大きな限界をもっていたが、外側だけ見ると当時世界最大の戦艦だった(1920年就役、全長262メートル)。
もともとは、驚異的な破壊力や被弾性能を備えた戦艦というよりも、それなりの戦闘能力と船体装甲を備えた重巡洋艦というほどの設計思想で建造されたものだった。それでも、外国の海軍は、ブリテン海軍というブランドとフッドの巨大な艦体に怖れをなしていた。
ところが、1939年の大幅な改造で、速力も主砲もビスマルクと同等にしたものの、船体の構造や形状による機動力の限界、被弾性能の弱点は補いきれなかった。
いってみれば、世界で最大の戦艦としての「イメイジ」「アピール効果」を重視したけれども、しょせんは幻影だったというわけだ。それでも、ブリテン海軍の威信を象徴する存在だった。要するに超弩級戦艦というものは、それが生み出す虚像による心理的威嚇効果をねらうだけのもので、実戦に投入すべきものではないということかもしれない。
その巨大戦艦が、オイゲンの砲撃による被害があったとはいえ、ビスマルクの主砲の一撃で爆沈してしまった。
世界の海洋権力におけるブリテン海軍の優越のシンボルでもあった最大の戦艦が撃沈されたということの「政治的・イデオロギー的な意味」は深刻だった。
愚かなことだが、近代戦争では何よりも国家の体面が最優先となる。ブリテン国家の指導部は、当然のことながら、このダメイジを回復するための戦果を、海軍に強く求めた。
首相チャーチルは、海軍司令部に「いかなる手段、いかなる代償=犠牲を払ってもビスマルクを撃沈せよ」と命じる。この言葉=命令が、この映画の題名となっている。