さて、ビスマルクの攻撃能力の限界は、ドイツ帝国海軍とヒトラーがドイツ帝国艦隊に課した戦略的および戦術的目標の大きさと複合性から見て、かなり不整合だといえる。
ヒトラー、そして彼に唯々諾々として従ったドイツの参謀や将官、技術者たちは、巷間評価される虚像を取り去れば、戦略や戦術、兵器体系については、きわめて浅薄な知識と洞察力しか持ち合わせていなかったとしか言いようがない。
ところで、参謀本部とドイツ海軍司令部は、バルト海および北海、さらに北大西洋への戦艦ビスマルク投入、就航の目標として、この通商破壊のほかに2つの課題を追加していた。
その1つが、この戦艦の投入で、北大西洋におけるブリテン海軍とドイツ海軍の力関係のバランスを組み換えて、とくに地中海に配置されたブリテン艦隊の主力艦艇の一定部分を北海ないしブリテン周域の北大西洋に移動させることだった。
これによって、ブリテン地中海艦隊の攻撃=防御能力は格段に低下し、ことにアドリア海からエーゲ海、したがってバルカン半島と地中海東部方面での戦力を大幅に減らすことができるというものだった。
こうして、ドイツ軍(同盟するイタリアやオーストリア軍などを加えて)のギリシア方面から中東、クレタ島への侵攻、さらに北アフリカへのロンメル指揮下の戦力展開を容易にするというものだった。
2つめは、やはりビスマルク探索と迎撃のために、大西洋および地中海で輸送船団( convoy : combined voyager )を護衛する海軍艦艇をブリテン諸島周辺に引きつけること。
これによって、ブリテン側輸送船団の防御能力を引き下げて、かなり劣勢にあるドイツ海軍艦隊とUボートによる通商破壊をよりやりやすくするというものだった。
いずれにせよ、ヒトラーと参謀本部は、戦艦ビスマルクおよび帝国艦隊が追求すべき戦略目標の第1位に、通商破壊を掲げていた。
ところが、通商破壊作戦が本格的に展開されるべき広大な外洋での海戦に見合った攻撃力を装備しなかったというわけだ。その原因は、海戦の実態や造艦技術についての認識の甘さだけではない。
そもそも、この世界戦争全体の戦略目標・戦略構想そのものが、ヒトラーのきわめて甘い状況認識、主観的願望に即して描かれていたからだ。
幻想をふりまきながら謀略で成り上がった少数エリートが、自分たちの劣等感を覆い隠すために、欺瞞的で排他的な統治や支配を築き上げる場合に、必然的にともなうことだった。つまり、冷厳な客観的状況についての情報が中枢部に届けられないのだ。
正確な情報が届いても、ヒトラーの側近たちがヒトラーの気に入りそうな情報だけをすくい上げ、その上ヒトラーが主観的願望にもとづいて決断するという捻じれた意思決定の連鎖ができ上がっていた。
ナチス支配のもとでは、あらゆる場面や戦線で、歪んだメリトクラシー(出世・選抜制度)に合わせて、現場や中間管理層は、上層部が好ましいと判断しそうな情報ばかりを報告するようになる。そうなれば、指導部はますます得意になって、誤った状況認識にもとづいてだが、いよいよ過激な方針=意思決定をするようになる。
ヒトラーの周囲に集められた「お気に入りの参謀集団」は、耳障りのいい「おべっか使いの」くわせものか、ヒトラーの反論を恐れて本音を言わない「小役人タイプ」ばかりになっていく。
ヒトラーは、ブリテン帝国に「見栄えばかりが大々的な」攻撃を仕かけた。だが、それは、電撃戦で短期的に圧倒的に有利に見える戦局をもたらして、ブリテンと有利な条件で講和を結ぶためだった。長期的な持久戦に持ち込まれれば、ドイツの危機は避けられない、と本音では考えていた。
海軍戦略、海戦についても、同じだ。
ゆえにこそ、通商破壊の対概念である「通商防御」と敵艦隊の戦力破壊をめぐる戦力については、ほとんどまったくといっていいほどに手薄な対策しか打たなかった。いや、ドイツの資源と技術からして、打てなかった。
つまりは、艦隊どうしの本格的な海戦を極力回避して、主要戦力を温存しながら、限定的な海域での通商破壊をおこなう、こういう消極的な戦略でいくしかなかったのだ。そのあいだに、ヨーロッパ大陸で短期的に圧倒的な優位を達成する。これしかなかった。
見栄えは立派だが、中途半端な設計思想の巨艦を建造した背景には、厳しい現実があった。
とはいえ、たしかに系統的な手はずで展開するなら、通商破壊は、ブリテンの経済と軍事力に対する深甚な破壊力、脅威となるはずのものだった。
資本主義的世界経済のなかでは、強国どうしの戦争は、必ずと言っていいほど、世界市場での優位や勢力圏争奪をめぐる闘争が最も中核的な要因となる。そして、系統的な通商破壊は、敵国の経済的再生産の体系を攪乱・破壊して、国家財政と軍事力の基盤を掘り崩すはずのものだからだ。
他方、チャーチルの戦略眼がヒトラーよりもずっと立派だったとは言えない。大いに幻想や主観的願望にとらわれていた。だが、ブリテン海軍の戦略的・戦術的実務や判断は、政権首脳の思惑からある程度自由におこなわれていた。それが大いに救いだった。
前置きはこれくらいにして、映画の物語を追いかけてみよう。
なお、ヨーロッパの海戦と「通商破壊」戦略の歴史的変遷については、あとで概観する。そのときに、ブリテン艦隊とドイツ艦隊との闘いを、ヨーロッパの海戦史(軍事史・戦争史)のなかに位置づけて考察する。