シェパードは、着任早々、戦艦ビスマルクの探索と迎撃、さらには撃破という、厳しい課題を突きつけられた。
そして、この映画の味付けとして、ビスマルクに乗艦している司令官が、以前シェパードが指揮していた巡洋艦を撃沈した将軍、リュティエンスだった、という状況を設定している。
国家対国家、艦隊対艦隊の対抗関係のなかに、かつて勝敗を分け合った個人対個人の関係を組み入れて、緊迫感(感情移入しやすい設定)を盛り上げている。
シェパードは、ドイツ海軍の戦略的・戦術的な好みを知り尽くしているだけでなく、敵艦隊の司令官の性格と発想方法、行動スタイルを知り抜いている。
北極海から北大西洋、北海という広大な海域で、いくら巨大戦艦と巡洋艦はいえ、たった2隻の艦船を捜すのは、「九牛の一毛」を捜すに等しい。当然のことながら、選別と集中、つまりはリスクの高いギャンブルに打って出るしかない。
シェパードは、北大西洋(西大西洋および北アフリカ担当ステイション)と地中海(地中海艦隊)に配置された艦隊から有力な戦闘艦艇を引き抜き、本国艦隊( Home
Fleet )に編合する。北海北部から北大西洋にいたる航路を探索する艦艇を増強するために。
しかし、ブリテンの戦艦フッドが撃沈され、プリンス・オヴ・ウェイルズが被弾大破するにおよんで、チャーチルの厳命もあって、さらにリスクの高い選別と集中=ギャンブルを余儀なくされる。
パウンド卿との相談の結果、地中海東部に向かう輸送船団を護衛するはずの戦艦ロドニーと空母ヴィクトリアスを、ビスマルク探索に回し、さらに地中海西部(イタリア西部沖からエスパーニャのジブラルタルまで)の防衛に当たる巡洋艦シェフィールドとレナウン、空母アークロイヤルをアイルランド沖まで移動させようとする。
これで、ギリシャないしエジプトまで2万の兵員と兵器を輸送する船団は、せいぜい駆逐艦に守られて地中海まで赴き、そこから先は、地中海東部に配置された艦隊だけによって、護衛されるしかなくなった。とはいえ、地中海の南側は、ブリテン艦隊の制海権が維持されていて、イタリア海軍は艦隊決戦に及び腰だったから、リスクのコントロールはある程度確保できるという読みがあった。
戦艦よりも、フリゲイト艦(快速駆逐艦、軽巡洋艦)の方が、輸送船団の護衛とUボート対策には有効だった。ただし、空母(航空機動戦力)の割愛は、大きなマイナスだったとはいえる。
ところが、ビスマルク探索に差し向けた空母アークロイヤルには、シェパードの1人息子、トムが艦上攻撃機の機銃手として乗艦していた。最も過酷な戦場に愛息を送り込む決断をしたわけだ。
しかも、トムはビスマルク探索のための偵察飛行に出たまま、燃料切れの(航続距離をすでに飛んだ)時間を過ぎても帰還しなかった。海軍人員消耗管理局は、限りなく死亡に近い遭難者リストに載せたことを、シェパードに連絡してきた。
すでに愛妻を爆撃で失っている彼にとって、愛息は残された唯一の家族。心中は悲嘆と苦悩に塞がれてしまった。
だが、「個人的感情は軍務の障害」と司令部の全員に号令している作戦部長であるがゆえに、その悩みをそぶりにも見せることはできない。
しかし、ブリテン艦船が海上を漂流中のトムと操縦士とを発見救出した。救出の知らせを聞いたシェパードは、寝台室のカーテンの陰に身を寄せて、涙を流した。
アン・デイヴィスは、その姿を偶然眼にして、軍務の厳しさと家族愛との板ばさみになって苦しむ作戦部長の心の奥を垣間見た。そして、人間として、同僚としての共感を深める。
なかなかに観客の感情移入を巧みに誘う演出だ。
一方、戦艦ビスマルクでの人間関係の葛藤も描かれている。
いうまでもなく、リュティエンス提督とリンデマン艦長とのあいだの「ギクシャクした関係」だ。
提督は、この映画では、実在の人物像とはかなりかけ離れて、いやなヤツ、頑迷なナチス党員として描かれている。他方で、実直な艦長。
しかし、内容は違うが、程度としては似たような葛藤が、実際にビスマルクの指揮をめぐってあったらしい。
ナチスの艦隊指揮のでたらめさに絶望しかけた傷心の提督は、ひたすら艦隊決戦を避けて、商船攻撃を追求しようとした。
映画では、戦艦フッドに対する主砲の射撃を命じたのはリュティエンス提督だったが、実際には、提督の躊躇を押し切ってリンデマン艦長が砲撃を命じたという。
リンデマンもヒトラーとナチスの戦法をひどく嫌っていたらしい。
ヒトラーは、敢えて、このような最前線の指揮官たちの反目や齟齬を起きるように仕向けて、ナチスと自分の指揮権の優越をもたらそうとしたようだ。分断統治、あるいは「知らしむべからず、依らしむべし」という手法を、軍の将官にさえも冷酷に用いた。
戦闘よりも「内向きの政治」を優先したのだ。ゆえに、前線の方針と士気は著しく低下した。もちろん、ドイツは戦果と戦況では大きな代償を払うことになった。