この映画でも、ビスマルクは敵戦艦の主砲からの弾丸をいくつも受けながら、なおかつ駆逐艦による多くの水雷攻撃を続けざまに受けるまで、水上に浮いていた。船体は穴だらけになりながら、なお復元力を保っていた。
たしかに、防御能力や船体の安定性・復元力については、局部的合理性をとことん追求して、設計・建造されていたわけだ。
ビスマルクの爆沈の経緯にはいろいろな説があるが、ブリテンの水雷攻撃がビスマルクのとどめを刺したのと、ビスマルクの弾薬庫に火が回って(あるいはドイツ側が自ら誘爆させて)爆沈したことが、同時に起きたのかもしれない。
これまでは、作戦の動きと戦況についてだけ追いかけてきたが、脚色された映画作品としての側面にも、触れておこう。
海戦史と海洋戦略の変遷については、別の編で扱うことにする。
冒頭で、ドイツ・ハンブルク港での戦艦ビスマルクの進水式典の場面が描かれ、ブリテンにとって大きな脅威が出現したことが示される。
続いて、ロンドンのウェストミンスター官庁街を背景に、広大なトラファルガー公園の風景。そこに、この地区の地下に設営されたブリテン海軍司令部に急ぐ、シェパード大佐が遠くに姿を現す。
大佐は、トラファルガー・スクエアを通り抜けて地下施設に入っていく。
司令部に着くと、シェパードは、前線とは違って司令部では規律がかなり緩んでいることに気づく。彼は、司令部の雰囲気と緊張感を、前線の艦艇と同じようにしようとして、紀律の一新をはかる。それは、司令部首脳が彼に期待したことでもあった。
だが、着任早々、作戦部長シェパードは難問に直面する。
ドイツの戦艦ビスマルクが僚艦プリンツ・オイゲンをともなって、バルト海から北海に出たという報告を受けたのだ。
ところで、作戦部には、副官の中佐とともに、きわめてクールで知的な美しさが輝く女性士官、アン・デイヴィス少尉がいた。彼女は、1年前に婚約者が最前線で行方不明になり、いまだに悲しみに沈んでいた。
ところが、シェパードは、悲しみに浸るのは「戦時には許しがたい贅沢」だと指摘して、任務に集中するように要求した。そして、彼女に話すときは「デイヴィス女史」と姓で呼ぶことにした。
シェパードは、感情を完全に抑制した機械のような怜悧な首席参謀を演じている。
彼の直属の上官は、王国海軍卿( First Sea Lord :海軍総参謀長:海軍主席大将。海軍大臣と意訳した方が正しいかもしれない)のダドゥリー・パウンド(貴族)だ。指揮系統でパウンド将軍の上には、もはやチャーチル首相しかいない。
そうすると、作戦部長は事実上、海軍のナンバー2ということになる。シェパードは、海軍卿への提案という形で、将軍たちを動かすのだ。
モノクロ画面のせいかもしれないが、このような知的な美しさと人間的な自己抑制の深さを表現できる女優はすごいと思う。
すべての感情を押し殺そうとするシェパードに、反発しながら、彼の指示を冷静に受け止めて、期待以上に能率的に仕事をこなす。そして、作戦部長の任務を的確にサポートする。
しかも、作戦部長の判断や意見に対して、あえて対立する論点や補うべき視点を提起する。
「女性は補助作業」なんていう古めかしい考えは、映画では、彼女の存在と行動スタイルの前には、すっかり霞んでしまう。
実際の歴史でも、ブリテンでは本土・後方支援・情報管理などでの女性たちの活躍はめざましく、戦後の政治=民主主義の転換、職場への女性の進出の土台となったという。
彼女は、シェパードが抱える苦悩や、人知れず表出する家族愛や人間としての弱さを目聡く見抜く(それが好ましいと理解する)。