ビスマルクが海底に沈んでからおよそ6か月後、日本の連合艦隊は、アメリカ軍のパールハーバー基地に先制攻撃を仕かけた。
そのときの攻撃の主力は、まさに空母艦載の爆撃機と戦闘機の大編隊だった。つまりは、太平洋戦争の開始とともに、海洋権力の主力は、空母を中心とする航空機動力になった。大型戦艦の時代は終焉していた。
そのとき、戦艦大和と武蔵はまさに「無用の長物」となった。せいぜい単なるシンボルでしかなくなった。
そして、航空機動艦隊を支える、海洋における広域的なロジスティクス、兵站=補給体系の構築の度合いが、戦力を左右するようになった。海洋権力の展開は、補給線の確保に決定的に依存するようになった。
ところが、日本の海軍は、補給線の確保にはことごとく失敗した。というよりも、兵站構築にはほとんどエネルギーを割かなかった。いや、兵站体系の構築には目を向けなかった。
むしろ、真珠湾攻撃は、短期決戦でアメリカを講和に持ち組むという希望的観測以外にまともな戦略(長期の作戦構想)がない日本海軍の致命的弱点の発露だったというべきか。
長期的に見ると、袋小路に陥って敗退は避けられなかった。
そして、やがてミッドウェイで主要な空母と航空戦力を失った(その時点で継戦能力は失われていた)結果、見かけ倒しの日本の制海権は急激に崩壊していき、時代遅れの巨大戦艦の出撃で「戦局の打開」を試みるしかなくなった。自滅的な「破れかぶれ」しかなくなった。
他方アメリカの側では、政権が日本艦隊の「不意打ち」を巧みに利用して、キャンペインを展開して、財政危機のなかで厭戦気分にあふれ軍縮を要求していた世論を軍拡・開戦へと導くことに成功した。
そして軍産複合体の成長と台頭が始まった。それはまもなく、合衆国の世界覇権の軍事的・技術的基盤を構築することになる。
まさに、以上の事情は、自国の経済的再生産と戦力の持続(継戦能力)のための、世界市場規模での補給・調達体系の構築と確保こそが、戦争における最重要の決定的問題であることを示している。
世界経済(政治的・経済的・軍事的システムとしての)における地位が特定の国家の軍事的能力を構造制約するのだ。
ブリテンおよび連合国とドイツの戦争でも、この問題が帰趨を決定した。
世界経済における原材料・燃料などの補給調達体系のなかで、個々の国家がどのような地位を占めているか。それが、長期的に見た場合の、国家間の敵対・対抗関係や戦争における優劣を決定する。
ブリテンは、それまで世界経済におけるヘゲモニーを握っていて(優位はしだいにアメリカに奪われつつあったが)、世界的規模での原材料・燃料調達システムで最優位に近い地位を確保していた。そのシステムは大部分が海運によって担われていたから、世界各地の海洋と軍事的要衝に艦隊と拠点・基地を設置運営していた。
それに対して、ドイツの兵站=ロジスティクスはきわめて未熟かつ脆弱だった。ゆえにこそ、敵の補給体系への攻撃、通商破壊にこだわったのだが。
ヨーロッパ大陸では、ドイツ軍は、電撃戦による支配地・征服地を一挙に拡大し、収奪によって補給体系を、少なくとも短期的には、確保した。
こうして西部戦線を構築したのちに、カスピ海方面の油田地帯を征服するためにウクライナ・ロシアの平原地帯への戦線の拡大を試みた。
だが、伸びきった戦線が破綻しやすいのは、すでに見たとおりだ。
ところが、海洋では、ドイツ側のロジスティクスの弱点ははじめから如実だった。
結局のところ、ナチスドイツは、電撃戦の成果でブリテンと早期に講和し、停戦期間のあいだに、世界経済でのブリテンとアメリカの優位に軍事的に挑戦する国際的なロジスティクスを構築するつもりだったのだろう、と見るしかない。
しかし、世界政治の地政学をまったく見誤っていた。せいぜい電撃戦の準備程度の態勢で、世界的規模での長期戦にのめり込んでいった。
戦艦ビスマルクの撃沈で、ドイツは海洋での力を急速に失っていった。つまりは、ドイツは海へのアクセスを短期間に失っていった。北海からバルト海にかけての制海権、さらには制空権をも失い、主要諸都市は航空撃の標的にされるようになった。
それは、大陸での戦線の崩壊の予兆だった。