世界システム理論の創始者のひとり、イマニエル・ウォラーステインはその著書のなかで、ソ連レジームについて、あらまし次のように定義している。
ソ連国家は、世界経済に半辺境ないし縁辺部として統合された地域が、西ヨーロッパやアメリカなどの中核諸国家による支配や搾取の影響力をユニークな国家独占・国家統制メカニズムをつうじて緩和しながら、域内で、できるだけ自立的なナショナルな資本蓄積を推進しようとするレジームである、と。
つまりは、社会主義的イデオロギーを掲げる政権によって組織された重商主義的レジーム mercantilsit regime である、と。
この見方には、次のような前提・歴史認識がある。
近代世界では、いかなる国家(国民国家)も、世界システムとしての資本主義的世界経済の内部にある非自立的な部分システム・軍事的=政治単位でしかない。このシステムは全体として、基本的に3つの階層からなるピュラミッド(ヒエラルヒー)をなしている。すなわち、@支配的な中核地域とA従属的な辺境(周縁)地域、そしてこれらの中間に位置するB半辺境(周縁)地域である。
@のなかでも頂点に君臨するのが、ヘゲモニー国家――ヘゲモニー国民――である。
歴史的にみると、中世晩期の地中海世界ではヴェネツィアが、16世紀のヨーロッパ世界経済ではネーデルラントが、そして18世紀後半以降の地球ではブリテンが、最後に20世紀の世界ではアメリカが、ヘゲモニー国家の地位を掌握していた。
この全体システムでは、その内的なメカニズムをつうじて、世界で生産され、分配され、流通する富と経済的剰余は中核部を中心に集積するようになっている。その優位によって、中核部では強力な国家組織がいち早く形成され、国民的統合が達成される。
それでも、その中核地域では諸国家が幼弱な段階では、とりわけヘゲモニー国家の支配と権力に対抗して軍事的・政治的に自立化するために経済的再生産に国家装置が包括的に介入し、組織化・統制しようとした。これが「重商主義」である。半周縁地域でもどうにか国家を形成できたところでは、中核の諸国家や企業による支配からできるだけ自立化するため、富国強兵策によって世界経済での地位を上昇させようと模索する。そのための政策が重商主義だ。
⇒世界経済の文脈におけるヨーロッパ諸国民国家の形成の歴史
ロシア革命とは、ツァーリのロシア帝国レジームが挫折・崩壊してゆく局面で、ヨーロッパ諸列強の支配に全面的に従属した辺境になるのを食い止めるためのロシア地域のリアクションであった。何とか軍事的・政治的に自立的な国家を構築して、従属的な辺境化への衰退を阻止しようとする運動であった。
その局面でこの運動でたまたま政治的支配権を握ったのがボルィシェヴィキ――ロシア社会民主党の多数派だった――というわけだ。こうして、社会主義的イデオロギーを掲げる運動が政権を掌握して、強力な国家機構と資本蓄積の基盤の建設を進めようとしたわけだ。
だから、そこでは資本の権力と支配、そして階級敵対がすこぶる特異な形態で存在していた。
ソ連の社会空間は、総体として資本主義的構造をなす世界経済のなかで――国境システムによって政治的・軍事的に区分された――特殊な1地域のレジームにすぎないのであって、その政治的支配層がイデオロギー的に社会主義を標榜していたにすぎない。
その意味では、ソ連は資本主義的世界経済の内部にあるわけで、社会システムの歴史的な質としては資本主義にほかならない。そもそも、「資本主義」というのは世界システムとしての社会の質を確定する概念であるから、1国的規模では社会主義も何もあったものではない。
国家装置、政権の質から見て、つまりは軍事的・政治的レジームの次元でのみ、社会主義イデオロギーが支配的なのだ、というわけだ。
かくして、世界システム理論によれば、ソ連レジームがめざしたものは、資本蓄積であり、特異な形態での「資本家的搾取」の推進だったわけだ。では、この特異な形態とはどういうものだったのか。それが、ここで問いかけるべき問題である。