マルクス派の古典的見解――国家の存在根拠は階級敵対であるという見方――に立てば、ソ連で社会の前面に出てきた「国家」というものは、そもそも所有や財産において人びとのあいだに格差と敵対関係があるがゆえに存在する、ということになる。対内的に見ると、強力な国家は、それだけ激しい階級対立・敵対・格差があるがゆえに存在する。
ということは、社会のあらゆる側面に介入する国家装置の存在は、まさにソ連での階級敵対・格差がいたるところに貫徹しているということを意味する。このことは、まさにソ連の最大の自家撞着だった。ソ連の社会主義が発展していけば、それに応じて国家は死滅していくはずだった。にもかかわらず、抑圧レジームとしての国家はいよいよ膨張拡大していった。
革命を指導したリェーニンは、晩年に、抑圧的独裁レジームを強めていくソ連共産党とスターリン派の挙動を見て、「社会主義革命」をおこなったのは、恐るべき誤りだったという手記(手稿)を残している。
とりわけ「国家論についての覚え書」では、「社会の肉腫として膨張して、社会に寄生し、社会を収奪し押し潰す国家のおぞましさ」について、何度も繰り返している。彼が、西ヨーロッパに研究に行ったわけではないから、この認識は、――西側の諸国家よりももむしろ――当時のソ連の実情を踏まえてのものだったはずだ。
工業発展を誘導し、やがては社会主義レジームに転換されるはずの「ソ連=国家資本主義的独占」は、じつは、自己運動のように膨張して、恐ろしい「全体国家」になりつつある。こういう危機感がにじみ出ている。
これに対する抵抗と革命のミッションを、同僚のトゥロツキーに託したが、彼は優柔不断を決め込み、やがてスターリンによって放逐され、国外で暗殺された。
スターリン派は、自分たちに気に入らない社会主義理論や行動を、その内容の違いを吟味せずに、ひとくくりに「トゥロツキズム」とレッテル張りして弾圧していった。つまりは、現存ソ連レジームに対するマルクシズム的な批判・分析を許さないという意思表示だった。
ソ連における国家の存在と膨張という現象をつつけば、おぞましい事件や強引な詭弁がゴロゴロ転がり出てくる。それだけ、「社会主義における国家の存在」は「自己矛盾」「自家撞着」の源泉だったというわけだ。
そののち1960年代には「全人民国家」理論が捏ねあげられる。すなわち、当時のソ連は「社会主義的社会」となり、敵対的な階級関係や階級格差がほとんど消滅したが、冷戦構造という世界的文脈で国家の存続は必要とされ、また経済の管理などのために、高度な共産主義に到達するまでは国家が存続する、というのだ。
これこそ、ソ連社会内の階級格差と特権階級の支配を隠蔽する虚偽イデオロギーの最たるものだ。
さて、ソ連において熾烈な階級敵対・格差があたっとすれば、それはどういうものだったのか。そして、国家資本主義的独占として、資本蓄積=資本家的搾取を推し進めたのだとすれば、それはどういうものだったのか。