革命を指導したリェーニン自身、革命後のソ連レジームを「国家資本主義的独占」と呼んでいる。つまりは、独占資本主義レジームだということだ。それを国家独占の機構によって組織化・統制しているわけだ。この見方を分析するためには、少し遠回りする必要がある。
■国有化と国家管理そして国家独占■
マルクシズムでは理屈上、資本主義的体制をひっくり返すための「社会主義革命」のありようは、マルクスの「政治経済学批判の体系」から導かれるものとされた。というのも、この体系が資本主義とは何かを体系的・全体的に解明しているからだ。そうであれば、資本主義の否定物=止揚・克服としての「社会主義」は、体系が提示した資本主義的システムの基本要素の転換である、ということになる。
それで、ソ連マルクシズムのドグマによれば、資本主義とは、生産手段の私的資本化的所有にもとづいた、剰余価値の生産と搾取=領有の体系である。そして、総体としてその土台には無政府的な商品生産の体系がある。というのも、資本家的経営者たちは、互いに自己の利潤を最大化しようとして競争し合い、無制限な拡大再生産を繰り広げるからだ、というわけだ。
つまりは、私的所有と私的利害に駆り立てられた資本家的視野では、社会的再生産の総体のバランス=均衡、社会全体の福祉・安定性については、ほとんど顧みることがないからだ、という。
ここから、社会主義的な転換の2つの基本方向が出てくる。
1つは、私的資本家的な階級的搾取を廃絶するために、生産手段の私的資本家的所有を廃棄して、その所有を「社会全体の代表者=組織者」としての国家が掌握する、ということ。国家の市民は、これによって、生産手段への関係が平等化・均等化されて、階級格差は消滅していくはずだ、というのだ。
2つめは、生産の無政府性を克服するために、生産手段を管理する国家が社会全体の利益とニーズを把握して計画を立案して、これにもとづいて生産を規制・組織化する、ということ。これによって、無政府的な競争による過剰生産と周期的な恐慌(不況・経済的危機)の発生を予防できる、というのだ。
だが、この考えの土台には、国家が政治的に総括する「国民経済」が自己完結的で自立的な全体をなしている、という世界観がある。もともと、ロシアでの社会主義革命は「一国革命」理論にもとづいていた。
そもそもロシア帝国レジームの危機が、国内的な要因よりも、むしろ世界経済的な文脈ないし国際関係(戦争)が主要な要因となって発生したにもかかわらず、反乱と革命の流れを「社会主義」に持っていくために、革命論はかなり無理をした構成になっている。そしてソ連の権力によって、社会主義運動が独特の方向へ政治的に誘導され、「一国革命論」という特殊なイデオロギーがが社会主義思想の主流になっていくのだ。
その限界については、あとで世界システム理論の視点から、批判的に分析するとして、ひとまず、ソ連国内での「所有と権力」の実態について考察してみよう。