イタリアの地図を見てみよう。
ピーサはイタリア半島北西にあって、長靴型の半島の付け根近く、地中海に程近い場所に位置する。司教座都市から商業都市へと変貌を遂げてきた。
この時代、自前の港湾を保有するということは、ただそれだけで、地中海およびヨーロッパにおける通商戦争で重要な戦略拠点を確保することにも等しいことだった。
ピーサ市自体は西方の海岸からは少し離れてはいるが、アルノ河やセルキオ河と、それらを結ぶ運河によって、早くから地中海への良好なアクセスを確保していた。
そして、ピーサ自体も有力商人の権力の成長とともに、都市統治の権力は司教から都市門閥に移行していた。
小規模だが都市国家を形成し、周囲の小都市や農村(つまりは所領を支配する領主や騎士たち)を自らの支配圏域に囲い込んでいった。こうして、地中海にいたる港湾区域も直接支配することになった。
つまりは、港湾都市になった。
だが、その世界貿易にすこぶる好適な条件は、内陸部のより強大な通商都市国家の征服欲をかき立てしまうことになった。
とりわけ、近隣の内陸有力都市、フィレンツェにとっては、地中海への格好の出口として垂涎の的だった。もう1つの内陸の雄、ミラーノもピーサを狙っていた。
14世紀の終わり頃には、その頃急速に勢力を拡大してきたミラーノ――神聖ローマ帝国(ドイツ王)直属の公国にして都市国家――の支配を受けることになった。
ピーサにとっても、はるかに強大な都市国家群が相争い、中小都市を奪い合うという状況のなかでは、強力な庇護を提供する都市国家に身を寄せる必要があったともいえる。
ところが、ミラーノの勢力拡大は、近隣の都市国家による反撃を招いた。
1406年、ヴェネツィアと同盟したフィレンツェがピーサを軍事的に征服。交渉の結果、ピーサは、ミラーノの君主、ヴィスコンティ家からフィレンツェに売り渡されてしまった。
だが、ピーサとしては、ヴィスコンティ公家のような、都市としての自立性をほぼ認める穏便な統治政策ではなく、あからさまに直属の領土に統合しようとするメーディチ家の統治政策には、強く反発していた。
ゆえに、都市国家群の勢力争いのなかで状況の変化を見守りながら、フィレンツェからの自立の機会を窺っていた。
状況の変化は、15世紀末に訪れた。
まさに、このマンガの物語が展開し始めた直後から、ピーサと半島中央部の情勢は激変していく。
1494年、フランス王シャルル8世の軍がイタリアに侵攻し、フィレンツェからメーディチ家を追放してしまった。事実上の――というのは、公式上は、共和国で有力商人門閥層による統治であって、メーディチ家はその盟主にすぎなかったから――君主だったメーディチ家の追放で、フィレンツェの政治は混乱・紛糾した。
その間隙を衝いて、ピーサは反乱を起こして、独立した。
とはいうものの、フィレンツェはピーサの支配を容易に手放すつもりはなかった。フィレンツェとピーサの軍事的敵対は続いた。
結局、1509年になって、フィレンツェはピーサを征圧して、重要な港湾都市への支配を回復した。
この戦役や駆け引き、交渉には、ニッコロ・マキァヴェッリもフィレンツェの有能な外交官(書記官)として参加していた。
このマンガの場面設定の巧み(秀逸)なところは、1491年のピーサの大学にチェーザレとメーディチ家のジョヴァンニ(将来の教皇レオ10世)がともに在籍している、そのときから物語を描き始めたことだ。
数年後、イタリアの有力諸都市に加えてエスパーニャ王権やフランス王権をも巻き込んで展開する戦乱のなかでその命運を翻弄される都市ピーサに、物語の主人公たちがいる。そして、この戦乱への導火線に火をつけたのは、チェーザレの実父、ロドリーゴ=アレクサンデル6世だった。
そして、やがて混乱と紛糾はフィレンツェにまで拡大する。そんな危機的な状況下で、フィレンツェの門閥君主、ロレンツォが死去する。ジョヴァンニの実父、大ロレンツォなきあと、メーディチ家の権威は傾き、フランス王によって追い払われてしまう。
その混乱のなかで暗躍するのが、狂信的な修道士にして希代の怪人、サヴォナローラとその一味。
その後の歴史の展開の発端が見渡せる設定だ。いや、じつにすばらしい。
混乱するイタリアを象徴する場面から、物語は始まるのだ。