ところで、漫画の筋立てでは、この年ピーサの大学に若き日のニッコロ・マキァヴェッリが来る。修道士団の一員として。
じつは、ニッコロは、ジョヴァンニの父ロレンツォ・デ・メーディチによって派遣された隠密の偵察要員、密偵=スパイとしてここにやって来たのだ。これまた、なんと巧みな演出か!
さて、実際の歴史では1498年5月28日、若干29歳のニッコロ・マキァヴェッリは、フィレンツェ市政庁の第2書記局の長に抜擢される。フィレンツェは小さな都市国家だが、イタリアでは有力な勢力をなしている。そういう政治体の官房長官と外務大臣兼務くらいの地位についた。
その頃の都市国家では、市政庁独自の行財政装置はまだ未整備で、メーディチ家の家政装置が行財政を担っていた。政庁の書記局は、したがってメーディチ家の当主の政務を補佐する顧問と専門家の集団だった。
マキァヴェッリは、君主=元首を補佐する顧問官となったのだ。それまで、まったく無名で政治や行政の実績のないインテリ青年だったという。にもかかわらず、突然の大抜擢だった。
20歳前後からそれまでのおよそ10年間について、マキァヴェッリの経歴・消息は深い謎に包まれている。記録がないようだ。
この作品では、ニッコロの謎の10年間について「メーディチ家の密偵・密使を務めていた」という仮説を提示したわけだ。この仮説には説得力がある。
というのも、メーディチ家の内々の裏の政治活動でマキァヴェッリが活躍していたとすれば、ロレンツォの知遇を得て1498年、書記官に大抜擢されるということも大いにありうる話だからだ。
そして、1491年のピーサでニッコロはチェーザレと面識を得る。
マキァヴェッリは、軍人君侯としてのチェーザレをかなり若い時代から観察していたらしい。そして、その死没までかれの動きをつぶさに分析して、「君主」には「最も資質豊かで有能な君主」としての評価を書き記している。
イタリアの君侯や有力者に対してあれだけ辛辣な批判の眼を向けていたマキァヴェッリをして、そのような高い評価を与えたのは、チェーザレがよほどに優秀で冷静な人物と見たからだろう。
その最初の出会いが、1491年のピーサ。とは、なんとできすぎた話か! いや、じつにうまい状況設定だ。
さて、フランス王のイタリア進軍侵略でこの地域の力の均衡状態は破れ、戦乱状態が続くことになる。フランス王とヨーロッパ(とりわけ地中海)で覇権を争っているエスパーニャ王権もイタリアに介入する。オーストリア大公も拱手傍観するつもりはなかった。
北イタリアの都市国家群も、ネコの目のようにくるくる変わる(サーカスのような)同盟関係を取り結びながら、戦争に突入していった。嘘や裏切りをちりばめながらの合従連衡、離合集散。大小の勢力が入り乱れての戦争状態になった。
なかでも、ローマ教皇アレクサンデル6世は、フランス王やエスパーニャ王、イタリアの有力諸都市をうまく操りながら、巧妙に立ち回り、この合従連衡や離合集散の動きを巧みに誘導した。
巧言麗辞を尽くしてフランス王をイタリアに呼び込み、王の勢力が強まろうとすると、その敵たちと手を結び、追い落としにかかる。そして、味方につけた諸都市をも平気で裏切る。
権謀術数とは、まさにアレクサンデル教皇のために用意された言葉ではないか。
当時の教皇庁はそれ自体としてはさしたる政治組織や軍事力を持たない貧弱な団体で、そんな状況のなかで領主として教皇領(都市や農村)を広げ、維持するためには権謀術数に長けるしかなかった。
この腹黒い教皇は、同時に、嫡男にしてきわめて有能な軍略家、チェーザレ・ボルジアをあちこちの戦線に派遣して勝利を収め、交渉で有利な地位を確保して、あっという間に教皇領を拡大してしまった。