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池波さんの原作にもドラマにも、江戸の風情の描写と並んで、まさに当意即妙の会話、機知に富んだ言葉のやり取りがあります。それに強く惹かれて私は、少なくとも年に一遍は「鬼平詣で」にはまることになります。それがもう35年近くになるのです。
なかでもうれしいのは、平蔵と達者な老人たちとの、そして老人どうしの掛け合いです。
たとえば、
あるとき、探索がてらの微行(素浪人意味を窶した見回り)で平蔵が弥勒寺門前を通り過ぎようとすると、笹やの軒下から、野太い塩辛声が飛んできました。
「おい鉄っつぁん、ここまで来て、おれの店を素通りするってえ法はねえじゃあねえか。
何も取って食おうとは言わねえ(または、金を貰おうとは言わねえ)、茶の一杯ぐれえは飲んでいきなよ!」
そうなると、義理堅い平蔵は、若かりし頃、いろいろと世話になったから、お熊の顔を立ててやらねばならない。ということで、腹を括って店に寄ることになります。
「そうか、じゃあ、まずい渋茶の一杯でもごちそうになるか。婆さん、世話になるよ」となります。
小半刻も笹やに腰を据えて、婆さんと世間話をするのです。
ところが、世知辛い世の中に歯向かうように生きてきたお熊の観察眼は、なかなかに鋭いのです。
それで、お熊の話から平蔵は、本所界隈の人びとの動向、事件、世情などを把握し、火付盗賊改方の捜査や探索、犯罪の未然抑止に役立つ情報を仕入れることになるわけです。
毒口にはしばしば閉口しながらも、お熊との会話は役立つことが多いのです。
そしてしばらくしてから、平蔵は「ありがとうよ。また寄せてもらうよ」と言って、過分の銭を置いて店を出る。と、こういうことになるのです。
若い頃、平蔵は鉄三郎と名乗っていましたが、義母との諍いから家(旗本)を飛び出し、本所を塒として市井に交じり、荒くれ生活を送っていました。
放蕩無頼、放埓無比のすさんだ暮らしだったということです。その頃、ときには懐がさびしくなったり、宿に困ったりすることもありました。
そんなとき、平蔵はお熊に酒代をもらったり、塒を世話してもらったりしたのです。
さて、そんな平蔵の無頼生活の頃につるんでいた子分格の彦十。
この食えない爺さんとお熊は年来の知り合いです。同類でもあり、「天敵」でもあるのです。
そして、平蔵の仕事の手助けをめぐっては、抜け目なく息を合わせて絶妙の連携を見せることになります。
とはいえ、顔を合わせれば、互いに品性の欠片もないような罵り合いを演じるのです。
骨と皮ばかりに痩せて皺だらけのお熊に、彦十は舌鋒を浴びせます。
「この破れ提灯のしわくちゃ婆あ」とか「からかさ婆あ」と。
お熊も負けてはいません。
「この死に損ないのくそ爺い」「ごくつぶし」
とはいえ、両者がつかみ合いにいたることはありません。「口先ばかりの軍鶏」の喧嘩なのです。
そういえば、彦十は軍鶏鍋屋「五鉄」に居候しています。