引き続き、お熊の活躍した事件の余話を追います。
そして、池波正太郎の文章方法論を一瞥。そのあとでさらに鬼平犯科帳など、時代考証の確かな時代劇を楽しむための基礎知識や「歴史を見る目」を検討します。
それは、学校教育や陳腐なマスコミ情報によって、人びとの頭に詰め込まれた織豊時代から江戸時代の社会状況「偏見」「先入観」、つまりは「歪んだ歴史観」を実証的な視点から批判、検証することになります。
さて、火付盗賊改方は、捕らえた盗人一味を尋問し、犯行の計画、一味の顔ぶれ、過去の犯罪歴などを調べました。
今回、お熊の通報によって探索のきっかけが得られたのですが、とりわけ、その発端となった茂平と庄八との関係が、平蔵の関心を引きました。
庄八によると、茂平は盗人一味ではありません。庄八の叔父でしたが。
茂平は、もともと京都の有名な老舗の主の庶子でした。本妻の子ではなかったので、茂平は家族や奉公人から辛く当たられ、実家での居心地が悪くなって、若くして家を飛び出してしまったのです。
その後、各地を転々としましたが、茂平が江戸に移ってからのあるとき、甥の庄八と偶然に出会ったのです。
庄八は、母である茂平の妹に生き写しの顔つきでしたから、茂平が声をかけたのだということです。その後、庄八は、博打好きの茂平が運よく稼いですときにはおごってもらったり、生活費の助成を受けたりしたようです。
茂平にとっては、庄八は、この世で親戚づきあいのできるただ1人の血縁者でした。
そして、茂平から、彼が死んだときにその葬儀をするための費用20両を預かっていました。
また、茂平がお熊に金を届けるよう頼んだ相手の娘は、茂平の孫娘らしいことも判明しました。
茂平が盗賊一味には無関係とわかったので、平蔵は、茂平から預かった金をお熊が神奈川宿の若い娘に届けるように手配しました。元気な婆さんは、駕籠と徒歩で東海道を往復しました。
事件の解決のあと、平蔵は、お熊に、「これからも俺を助けて働いてくれよ」と頼みましたが、これは、この世をすねた老婆に生きがいをもたせて長生きしてもらおうという心遣いです。
池波さんは、物語に登場する盗人や貧しい庶民の生活や来歴をも書き込んで、彼らの日常生活や生活者としての意識を描き出します。
とりわけ、平蔵たちから追捕を受ける側の犯罪者、盗賊たちの生い立ちや心情を説明して、盗人稼業にまで追い込まれた彼らなりの事情や言い分を明らかにします。
筆致はハードボイルド調で、冷静で突き放した描き方ですが、それは平蔵自身や配下の同心、仲間についても同様です。
要するに、登場人物の行動スタイルや意識をかなり明確な因果関係や状況設定によって、浮かび上がらせているのです。
これは、ヨーロッパやアメリカの「失われた世代:the lost generation」――ヘミングウェイやレイモンド・チャンドラーなど――が開発・開拓した手法を日本風に洗練させた技法です。
とはいえ、池波さんは、人間の行動や心理なんてものは説明のつかないもので、矛盾に満ちた、偶発的であったり、行き当たりばったりだったり…の現象だ、とも断言しています。
それでも、「盗人にも三分の理」というか、彼らなりの判断根拠や行動の(自分の意識のなかでの)正当化理由、あるいは心情の機微、人情や義理の絡み合いを、明確に描き出しているのです。
犯罪者や非合法世界の側、あるいは悪徳の側からも、大きな存在感の人物像を提示し、物語のなかで生き生きと肉づけし、彼らの生い立ちや家族環境によってそれなりに制約された心理や行動スタイルを、あれこれの事件を通して描いています。
そこには、そちらの側から描く時代小説=ピカレスク(悪漢の物語)の成立の豊かな可能性が示されてもいるのです。
それゆえ、「仕掛人 藤枝梅安」シリーズが生み出されるのですが、そのなかでは、江戸や大坂の「闇の勢力」と断ち難い関係のなかで非合法に人(悪辣な人物が多い)を葬る暗殺者請負業者が主人公です。