笹屋のお熊 目次
見どころ
あらすじ
本所弥勒寺門前の名物婆さん
老人たちの活躍がうれしい
お熊と彦十
長谷川平蔵の境涯
お熊、役宅に現れる
身分制社会の外見と行動様式
お熊がもち込んだ話
探索の網
小千住の畳屋
お熊と平蔵
お熊の活躍
一網打尽
庄八と茂平
池波さんと「鬼平」の世界
時代劇を深く楽しみ、読み取るために
近代初期としての江戸時代
「水戸黄門」は存在できない
江戸の社会 貨幣
江戸の社会 刑事捜査
歴史考証の難しさ
実証社会史の見方
江戸期の身分制の実態

■江戸期の身分制の実態■

  たとえば私の祖先は、戦国期から江戸初期にかけて信濃の東部から北部に定着した真田家の家臣だったらしい。
  真田家では、専門の武士=戦士はごく少数の上級家臣だけで、一般家臣たる武士の多くは家族経営農業を営んでいました。
  ただし識字階級として、農地開拓や開墾、農法の伝承や開発、普及などを通して農村でそれなりに指導的な立場にあっったようです。
  武士=有力農民の農村での優越性は、主要な側面では、武力によって農村の平和と秩序を守り、それによって農民を指導・支配したというものではなかったのです。

  もちろん、真田の所領を守るために必要な戦闘訓練は農閑期に不断にしていましたが、それはある程度十分な農作物の収入が確保できた上での話です。
  これは、真田家が服属した武田家の家臣団についても当てはまります。

  江戸時代になっても、真田藩の中下級武家は、家禄だけでは家計を維持できませんので、藩政庁への勤務の余暇(年間の稼働日の約半分)を農耕に回していました。
  たとえば、家禄50石の家臣なら、それは知行地全体の収穫量ですから、藩士としての収入はその40%(貢租率)にすぎません。だから、実質的な生活費は20石しかなかったのです。
  そうなると、農業経営に主力を置き、農村での開拓や農法開発に打ち込んだ方がよほど豊かに生活できるはずです。


  当時、富農の方が下級武士よりもずっと経済的に豊かでした。富農は地場産業の組織者でもあり、商業や遠距離貿易の担い手でもあったのです。つまり、下級武士から見れば、農業での成功は「あこがれ」だったわけです。
  そこで、私の祖先の一族のある優秀な家系は、武士をやめて帰農しました。そのくらいに、武士と農民との身分的な垣根=仕切りは低かったし、簡単に踏み破れたのです。
  これは、私の家系の言い伝え(伝承)であって、資料的裏付けもあるらしいのですが。

  現実に生き延びるために、大都市の江戸ではともかく、多くの地方農村、地方都市では、「兵農分離」は有名無実だったようです。そんな生活は許されなかったのです。

  ところが、文書記録の多い江戸や大都市の史料にもとづいて江戸の社会を理念的に再現すれば、あたかも武士と農民との厳格な身分的な分業と格差は普遍的だったかのように見えるかもしれません。

  ところが、日本史の学者先生方にとっては、私の家系の歴史的な経験は、ありえない現象らしいのです。アカデミズムで定着した有力学説の方が、民衆の実際の経験の言い伝えよりも歴史の真実に近いらしい。

  一方で江戸の町民生活の史料は(農民社会とは乖離していましたが)、都市部での武士と商人、職人との身分差が無意味化していった事実を証明しています。
  むしろ経済的には、商人と職人が武士を凌駕しつつあったこと、文化的には、武士階級の独自性や優越はとうに崩壊して諸身分は融合しつつあったことを示しているのです。

  少なくとも信濃のような地方では、水戸黄門のような爺様侍がしゃしゃり出てきて、印籠や脇差を振りかざしても、何の権威の誇示にもならなかったのは確かです。
  もっとも、敵役のように横暴な代官や悪徳商人もめったに存在しようがなかったのですが。

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