江戸時代は、私の考えでは、すでに「封建社会」ではないが、行政にかかわる領域ではそれなりに厳格な身分制社会でした。
日本とヨーロッパとはよく似ています。
さて、身分制社会では、住居や生活様式、服装、身だしなみ、所作・立ち振る舞い、行動様式などの外見に明示されるものが、歴然たる身分差や行政上の職務権力を表示ないし誇示・強調するようになっていました。
それぞれの身分や地位に生まれ育った者たちは、家族や近隣者の習慣や教育(武士なら幕府の学校や武家の私塾、町人ならば奉公先の商家や職人工房での職業生活)をつうじて、こうした身分や地位に照応した生活スタイルや外見を身につけていったようです。
そこで、したたかで怖いもの知らずのお熊婆さんも、身分制社会のなかで生き抜く知恵をみにつてけいましたから、
冷静になれば、長谷川平蔵の役宅の様子や服装や仕草などを見れば、平蔵の役職にかかわることがら(政治や警察行政)については歴然たる身分差があることに気がつくわけです。
その辺の事情を、さりげなく書き映像表現する手腕がすごいと感じるわけです。
さて、物語に戻りましょう。
お熊が平蔵のもとにもち込んだ話はこうでした。
お熊の茶店の前にある弥勒寺の下男、茂平がつい昨夜亡くなりました。
茂平は、3年ほど前に弥勒寺の近くで行き倒れていたところを弥勒寺の僧侶に助けてもらいました。それが縁になって、身寄りのない茂平は弥勒寺に住み着き、寺の雑用や下働きをするようになったようです。
ところが昨夜、茂平は急に苦しみ出して容態が悪化し、息が絶えようとする間際に、寺僧に頼んで、お熊を枕元に呼んでもらいました。お熊は穏やかで勤勉な茂平が気に入っていて、ときおり代金もとらずに茶菓をごちそうして、世間話をするような顔なじみでした。
お熊が茂平のもとに駆けつけると、寺僧たちは茂平の願いを聞き入れて座を払い、寝間には誰もいません。茂平はもはや死期が近いのを悟って、お熊に自分の死を、千住小塚原で畳屋を営む庄八に伝えてくれと頼みました。そして、隠していた金袋をお熊に手渡すと、その金を神奈川宿の「おみつ」という若い女に渡してくれと頼んだのです。
その直後、茂平はひどい苦痛に悶え始めて、未明に死亡しました。
店に戻ったお熊が袋のなかを調べてみると、なんと58両もの銭が入っていました。普段貧しげな老爺にしては訝しい大金です。それを怪しんで、お熊は平蔵に相談しようとしたのです。
お熊、なかなかの気働きです。そういう気働きを促すような人間関係を、平蔵は日ごろ築いているというわけです。
平蔵も、この話になにやら不審を嗅ぎ取りました。
身寄りがない老人とのことなのに、自分の死を知らせる相手があること。
不相応に大金を所持していたこと。
そして、寄進を受けた金を利殖に回したり、貸金業に回したりして内証の豊かな弥勒寺は、盗賊に狙われる十分な理由があり、
また、盗賊一味が、近所での行き倒れを装って「引き込み役」を狙う商家や寺に送り込む手法がときたま見られること。
こうした条件を勘案して、平蔵は探索の網を張ることにしました。