やがて平蔵は義母の死後、長谷川家の嫡男と認められ、将軍との目見えを済ませて、やがて幕府の中級官僚への道を歩むことになりました。
そのとき、ただちに父親は京都所司代の奉行に就任して京洛に赴任。平蔵も父に同行しました。
やがて、父の死去とともに江戸に戻り、千代田城の書院番(将軍の親衛隊)として勤務、その後、御先手組の頭に就任します。書院番から御先手組頭への異動というのは、当時の幕府武官の出世コースです。
そんなわけで、平蔵は実家に戻ってから以降、市井で放蕩無頼の生活とその仲間から訣別し、そのときから二十数年間、本所界隈やかつての仲間から離れた武家生活を送ってきたのです。
ところが、平蔵は急遽、臨時の役目(加役)として火付盗賊改方の長官に任じられることになりました。江戸の目覚しい経済発展と商品・貨幣経済の発達、人口の集積とともに、犯罪が激増し、ことに商家や寺社を狙った強盗、放火、窃盗などの凶悪犯の跳梁が目に余るようになったからです。
盗賊や放火犯の捜索と追捕において、平蔵は著しい実績をあげたため、加役(正規の役職者だけでは手不足なので、それを補完するものとして追加された役職)から本役(正規職)に固定されることになったのです。
池波さんは、その職務が平蔵の気質や人間性にぴったり照応したのだ、と説明しています。やめられなくなったということです。
市井に交じって、捜索や刑事検察活動をおこなう職務は、若き日、犯罪の世界と踝を接するように生きた経験がまさに活用できる仕事だったのです。
その職務とともに、平蔵は警察活動の立場から、本所界隈や「昔の仲間」との接触・交流を「回復」し、仲間意識をともなう、自らの探索、偵察、情報ネットワークの手足として彼らを活用するようになったのです。
ある日、平蔵が久しぶりに朝食後妻の久栄とくつろいでいると、同心の沢田小平次(火付盗賊改方きっての剣の達人)が用の取次ぎにやって来ました。
「女が、おかしら(長官)に会いたいとやって来た」ということでした。
「女?」と聞き返して、どうだ、「女が会いに来た」ということは、俺も捨てたものではなかろう、という視線を平蔵は妻に送りました。しかし、小平次の返答で、忍び笑いをもらしたのは、久栄だったでした。
「それが、70過ぎの薄汚い老婆で、鉄っつぁんに会わせろ、と口の利きようも知らない無礼な婆さんで…」
久栄は、笑顔を平蔵に向けてから奥に立ち去りました。
平蔵は、遠慮会釈のない口ぶりということから、婆さんが何者かすぐにわかったようです。
「おお、それは俺の知り合いの婆さんでな。よいよい、ここに通せ」と命じました。
小平次の先導で中庭に入ってきたのは、お熊でした。
刑事警察組織の役所なのだから、手続きが面倒なのは当然なのですが……そんなことはお構いなしのお熊。何やかんやと取次ぎの手続きに手間のかかるのを聞こえよがしに愚痴りながら、縁側の平蔵に近寄ってきました。そして、縁側近くに拝跪させられました。
そして、平蔵の顔を見るなり、身分格式に煩い役宅の仕組みに文句をつけます。
「おい鉄っつぁん、昔さんざん世話になった俺に、こんなところに座らせるなんて、こんなむごい仕打ちはねえだろうよ…」
ひとたび市井に出れば、身分格式のしきたりを端に寄せて、分け隔てなく庶民と付き合う平蔵ですが、さすがに役宅では長官として、それなりに地位に応じた威儀を示さなければなりません。
だが、平蔵はそんな理屈でお熊を説得しようとか、権威を振り回そうとしようなんて野暮はしません。
「だが、お熊。俺が宿を借りたその夜、素っ裸のお前が『抱いておくれよう』と迫ってきたこともあったじゃあねえか」とまぜっかえしました。
お熊はどぎまぎして顔を朱に染めて反論します。
「そ、そんなばかなことはあるもんかえ。とんでもねえ作り話を…」としどろもどろになりました。
たしかに、その頃、戻る宿がなく、お熊の住居に泊まることになった鉄三郎は、真夜中に裸のお熊に迫られて逃げ出したことがあったようです。
とにかく、お熊の強気をさりげなく平蔵はかわしてしまいました。
そこに、機を見るに聡い久栄がちょうど茶菓を用意して戻り、やさしい口調でお熊にお茶を勧めました。美貌と才気にあふれ、身ごなしも旗本の妻女としての気品を備えた久栄を見て、お熊は急に身分制社会の格式や役宅のしきたりに気づいたようです。
この大きな役宅と火付盗賊改方の組織を、あの平蔵が運営指揮しているのだ、と。お熊の毒口にときには閉口しながら、親しげに市井の付き合いをしている平蔵が、火付盗賊改方の長官なんだ、と。
このシークェンスに見るように、物語の流れのなかで「場の雰囲気の転換」について池波さんの手並みは、ことほどさように凄いのです。江戸っ子の粋をさり気なく振りまきながら。
それを映像に再現してしまう演出家とスタッフの技量や努力もまた素晴らしいですねえ。