連合軍最高司令部は、まさにコルティッツ将軍が考えたのと同じ理由で、パリを北と南に大きく迂回してセーヌ河に達する経路を通って進撃する方針でした。
パリ解放に着手すれば、膨大な資源(ガソリン、食糧、車両、人員など)をこの都市の制圧とその後の統治に割かねばならない。
そうなれば、東に向けた侵攻の速度は大きく落ちることになる。
そこで、パリから離れた南北両地点でセーヌを渡河したい。
そして、パリ以外のより多くの軍事的要衝を奪取・解放し、連合軍が軍事的に支配する面積を拡大したい。
そのため、パリ解放の日程をできるだけ後に先送りする。
というのがアイゼンハウアー司令官と幕僚たちの構想でした。
パリ解放は華々しいニュースにはなるが、当面のところ、戦略的・軍事的にはそれほどの意味はない、という認識だったのです。
ゆえに、パリのレジスタンスや解放委員会への連絡では、できるだけ自制して、蜂起や反乱を起こさないようにと伝えていました。
連合軍としては、
首都を含めて枢要な地域をドイツ軍によって征圧・支配されたフランス共和国を軍事的に解放したのち、
過渡的・暫定的に連合諸国による共同の占領統治を敷こう
と考えていました。
フランス人民はただちには統治能力(政府組織)を回復できないので、解放後ただちに自立的な共和制レジームは成立・運営できないだろうと見ていたわけです。
この時点では、連合軍司令部の主要メンバーは、自由フランス軍とレジスタンスに冷淡で、オーヴァーロード作戦にとって好ましくない勝手な蜂起や解放闘争は避けてほしいと考えていました。
そういう合州国陸軍指導層にあって、フランス人に同情的なパットン将軍を演じるのは、カーク・ダグラスです。ただし、彼の態度は脚色です。
こうした連合軍(とりわけ合州国とブリテン)の構想を察して、フランス解放闘争やレジスタンス運動、そして共和制再建への動きのなかでヘゲモニーを掌握しようと企図していたのが、シャルル・ドゥゴールでした。
ドゥゴールは、ドイツ軍からのパリとフランスを解放したのち共和国の再建とレジームづくりについて独自の展望をもっていました。それを実現するために、自分が大統領になって、この再構築を指導するつもりでした。
ところが、連合軍、というよりもアメリカ政府は、この独立心旺盛で自己顕示欲の塊のようなフランス人将軍の政権獲得を歓迎するつもりはなかったのです。
合州国の視点では、解放後、暫定的にパリとフランスを統治するのは連合軍であって、その軍事的・政治的庇護下でフランスの指導者は共和国の再編に取り組むべきだったのです。
それゆえ、首都パリは大半のフランス国土(少なくとも北部)が解放されてから、連合軍の主導で解放されるべきでした。
したがって、ドゥゴールの率いる自由フランス軍や解放委員会(つまりフランス自身)によって、解放闘争の主導権が握られるべきではなかったのです。
連合軍とアメリカは、パリ解放をめぐっては、ドゥゴール派のライヴァル、フランス共産党(PCF)の力すら利用して、ドゥゴールの影響力の拡張を抑え込もうとしていました。