表立った戦闘は静まったかに見えました。
が、ヒトラーが派遣してきた連隊は、パリの主要施設・建物の爆破準備を進めていました。
参謀本部の指令で、突撃隊SSが指揮する爆破工作専門の工兵連隊がやって来たのです。コルティッツはこの連隊を歓迎したくなかったのですが、事態はすでに動き始めていました。
パリの総司令官でさえ、戦争という巨大な破壊メカニズムの1歯車にすぎないということです。彼の妻や子供たちは、ほかの将校と同様に、本国でSSの監視下(命令違反に備えた人質として)に置かれていたのです。
コルティッツは、詳細なパリ市街地の地図を見ながら、心ならずも工兵連隊とともに爆破計画を立案し、爆薬の設置場所を決定していきました。
セーヌ河の東岸にいたるすべての橋、エッフェル塔、凱旋門、ルーヴル宮、エりゼー宮など、はかり知れない歴史的・芸術的価値をもつ建築物に爆薬が仕かけられていきました。
工兵連隊長(大佐)から爆薬設置の進行状況の報告を受けたコルティッツは、「爆破の実行はかならず私からの最終指令を受けてからおこなうように」と命じました。
彼は、本当に避けられない事態が来るまで、爆破指令を極力あとに延ばすつもりだったのです。
そして、今回のパリ市民の武装蜂起の事態については、かなり抑えた(薄めた)内容の報告をラステンブルクに送っていました。
コルティッツとパリ爆破について電話で話し合ったB軍団(西部方面)司令部の参謀、シュパイデル少将は大きな衝撃を受けました。
少将は哲学博士号をもつ知識人で、かつてソルボンヌで学んだことがあったのです。フランスの文化をこよなく愛していました。
彼は司令部の自室の机のなかにフランス人哲学者の著書をこっそりしまっていて、ときおり読んではつかのまの思索にふけっていたのです。
8月21日、強硬派のロル大佐の指示で、貧弱な武装の市民たちが市街のバリケイドや持ち場に戻っていきました。
ロル自身は秘密の印刷所で、パリ市街での一斉蜂起を呼びかける新聞やポスター、ビラをつくっていました。
翌朝、これらの宣伝物を大々的に撒き散らすつもりだったのです。
一方ドゥゴール派は、パリ解放に向けて、ドゥゴール将軍の意を体現する「政権らしく見える体裁」をいまのうちにつくり出しておこうとしていました。
閣僚名簿の作成とか政府の拠点の準備・確保ということです。
政権閣僚や指導者たちの居場所を中心街に確保するのも、その手段の1つでした。
派の幹部のアレクサンドル・パロディは、組合活動家のイヴォン・モランダ(ジャン・ポール・ベルモンドが颯爽と演じる)に、遊軍をかき集めて首相府(官邸)を占拠するように命じました。