そんなある深夜、若い連絡員が単身、パリ郊外に密かにパラシュートで降下しました。彼はすぐに修道院に匿れました。
彼はレジスタンスを支援する修道尼に、「ジェイド・アミコル」という暗号名で呼ばれる人物へのコンタクトをみました。
やがて修道院に太った男が現れました。連絡員は靴のかかとから連合軍からの暗号連絡文を取り出して、その男に渡しました。
暗号を解読すると、その通信文は「連合軍の計画では当面、パリ解放をおこなわない」という内容でした。
知らせを受けたシャヴァンたちは、暗澹たる面持ちになりました。
一方、フランス共産党(PCF)のロル大佐はパリに向かう列車のなかで、ドイツ軍の士気と規律が弛緩し、崩壊し始めている事実を目撃しました。
戦列を離脱し、逃亡に疲れて、列車の席ですっかり酔いつぶれているドイツ軍兵士が1人。その男は憲兵に見つかりました。
すっかり絶望し自暴自棄になっていた脱走兵は、彼を見つけた憲兵士官の糾問にさえ口答えし、「ドイツ軍はすでに負けた。もう戦うのはいやだ」とごねまくりました。過酷な戦争は、心を病む兵士たちを多数生みだしていたのです。いや、殺戮と武力闘争の狂気から抜け出たという意味では、「心を病んだ」人びとの方が正常だったのかもしれませんが。
士官に捕らえられたその兵士は、パリの軍刑務所懲罰房送りになりました。
ドイツ軍の戦意低下と戦線の混乱を読み取ったロルは、解放委員会の集会で強硬に「直ちに武装蜂起を!」と主張しました。
しかしドゥゴール派は、明確な反論を打ち出せません。ロルは、PCFが主導権を握れそうな気配を感じたに違いありません。ますます強硬な路線に進もうとします。
だが、ドゥゴール派は左翼に優位を奪われるのを嫌い、先手を打ちます。8月18日、パリ警察本部(警視庁)の職員組合に本部建物の占拠と武装蜂起を命じたのです。
それまで、ストライクによって職場放棄を続けていた警察官・職員(男女とも)が、シテ島のパリ警察本部に集まってきました。
なかでも刑事部門の警察官たちは、犯罪捜査という名目で小火器(拳銃やライフル)の携行を認められていました。
ドイツ軍が警察官から銃の回収をおこなっていたのですが、多くの警察官はストを理由に無視していました。
という事情で、現状では、ストに参加している公務員のなかで、武装蜂起ができるのは警察職員だけでした。しかし、機関銃や大砲などの重火器に対して拳銃で立ち向うのは、かなり無謀な企図です。
しかし、走り始めたら止まらないのが、パリジャン・フランス人。彼らの脳は、疲れ果てて立ち止まった後で動き始めるのだとか
彼らは警視庁の屋上にフランス国旗(トゥリコロール)を掲げ、ついでに通りの向かい側のノートルダム大聖堂の尖塔にも三色旗を掲げました。
おりしもそのとき、大聖堂の大扉を開けた司祭がいました。
彼は武装蜂起の発生を知ると、いさんで警視庁の正門に駆けつけ、警察官の制止を振り切って建物なかに飛び込みました。
そして、蜂起した警察官に「神の祝福」を与え「加護」を祈りました。
かくして、この司祭は偶然のいきさつで、警察本部(蜂起部隊)の従軍司祭になったのです。