連合軍のなかで自由フランス軍は、ノルマンディ上陸作戦(オーヴァーロード作戦)の開始以来、アイゼンハウアーとアメリカ軍の指揮下に置かれていました。
しかし、ドゥゴールは北アフリカにいて、自らフランス上陸の機会をうかがっていました。
そして、自由フランス軍のルクレール将軍の装甲師団をいち早くパリに進撃突入させ、レジスタンス(ことにドゥゴール派)の動きと呼応して、パリをフランス人自ら解放するという実績を達成しようとしていたのです。
そして、解放(パリ市街の主要拠点の制圧)の当日に、その最高指導者として自分がそこに居合わせなければならないと決めていました。
指導者ドゥゴールは、パリを開放した連合軍から迎えられるのではなく、自らパリの解放者として連合軍を出迎える立場に立たねばならないのです。
パリのレジスタンス組織や解放委員会では、ドゥゴール派( gaulliste )は、ドゥゴールの解放闘争戦略=政権獲得戦略に沿ってパリの解放を進めるために奮闘していました。
直接の指導者はジャック・シャヴァン=デルマ。当時29歳にして少将になっているエリート(この貴公子を演じるのはアラン・ドロン)。
シャヴァン=デルマの個人的および組織上のライヴァルは、共産党PCFイール・ドゥ・フランス地区委員長、アンリ・ロル=タンギュイです。
彼の卓越した(言い換えれば強引な)指導のもとで、パリのレジスタンスや解放委員会の組織ではPCFが多数派を形成し、優位に立っていました。
ドゥゴール派は、抵抗・解放勢力のなかで劣勢に置かれた状況下で、一方ではドイツ軍と戦い、他方ではコミュニストたちから優位を奪い返さなければならなかったのです。
そうです。パリ解放をめぐっては、形の上ではレジスタンス(解放委員会)という「統一戦線」を形成していたドゥゴール派とPCFは、激しい競争、優位争いと出し抜き合いを演じていました。
ナチスの支配と迫害・抑圧を受けながら、国民国家としての存続の危機にあってすら、人びとは政派をつくって争っていたのです。連合諸国の内部と同じように。