その辺の事情については、L.コリンズとD.ラピエールの原作(早川書房から翻訳が復刻されている)をぜひ読んでいただきたい。
映画は、ストーリーをわかりやすくするため、単純化し、登場人物も原作とは人物造形や立場を変えて演出しているのです。
たとえばパットン将軍。
この映画では、彼はパリで蜂起したフランス解放組織に好意的・同情的ですが、原作ではきわめて冷淡な立場です。それは無理からぬことでした。
オーヴァーロード作戦の開始以来、彼は連合軍の西部戦線総体の兵站管理(ロジスティクス)の責任者で、進軍のコースの確保やあらゆる戦線への兵員・兵器の配置と陣地構築、そして弾薬・食糧・燃料の補給体制の統制を担っていました。
連合軍が利用できそうな交通体系は、道路も橋も鉄道もドイツ軍によって支配されているか、さもなくば破壊されているのです。
そのなかで、少しでも早くライン河へ迫るために、「いつ、どこに、何を、どれだけ」という兵力と物資の綿密な配置・補給態勢を築き上げなければなりません。それが彼の任務でした。
そのためにはパリを迂回するしかないのです。
巨大都市パリへの侵攻は、膨大な燃料・食糧・人員の投入が必要になります。それを実行するとなれば、苦心の末に構築した、こうした兵站計画全体をそっくり練り直し、しんどい調整が必要になるのです。
任務に忠実なパットンからすれば、状況を客観的に分析することなく、それぞれの政治的理由から勝手に武装蜂起を引き起こした「パリ野郎なんか、くたばっちまえ!」ということになります。
しかし、ハリウッド映画《パリは燃えているか?》では、アメリカの国民的英雄を「憎まれ役」にするわけにもいきません。
そこで、知的で意思的な風貌のカーク・ダグラスをキャストして、パリ解放に共感する好人物に仕立て上げたのでしょう。
しかし、それにしても、あのとき連合軍のなかで、またあの戦局で彼の置かれた立場は非常にきびしかったに違いありません。
パリへの「回り道」は、計画と戦略の苦心と苦痛に満ちた組み直しを突きつけたのですから。
その意味では、膨大なリスクとコストをともなうパリ解放を、その後のドイツ本土への進撃のステップとして位置づけ直して、兵站戦略を再編成したのだから、パットン少将は大変すぐれた兵站管理能力を発揮したといえるでしょう。