コルティッツは、連合軍がパリを攻略することになった状況を知ります。そこで、ドイツ軍が降伏せざるをえないような状況に進むように段取りしようとしました。
彼は連合軍のパリへの進撃を促し、かつ容易にするため、正面の防備を意図的に希薄にし、連合軍の市街侵入で街並みに被害が出ないように自軍の戦力を慎重に配置したのです。
そのうえ、この事情を知らせるために、スウェーデン総領事ノルトリング一行を連合軍に差し向けました。
というよりは、連絡使節として、安全にドイツ軍の陣営を切り抜けられるように手配しました。部下の補佐官も協力しました。
しかし結果として、この連絡使節は連合軍にうまく情報を伝えられなかったようです。
それにしても、連合軍の陣地からパリまでの道のりは、延々200km以上も続きます。いくつもの道筋に戦車や装甲車、砲兵部隊、歩兵団の長い列が続きました。
連合軍にとっては、パリ近郊に達してもなお、パリ解放までの道のりはまだずいぶん長かったのです。
そのへんの事情は映画で観てください。
原作をかなり脚色して映像化しているのですが、原作で語られる、じつに多くの要因をうまくわかりやすく単純化しています。
熾烈な戦闘の様子は、映画《プライヴェイト・ライアン》が参考になると思います。
さてさて、1944年8月半ば、ドゥゴールは北アフリカから、ジブラルタルに渡りました。
シブラルタルは、18世紀はじめにここをエスパーニャ王国から奪い取って以来、ブリテン王国の軍事拠点となっています。このときは連合軍の基地となっていました。
そこから、レジスタンス・解放委員会の闘争に連動する形で、パリに帰還するチャンスをうかがっていました。
もとより連合軍最高司令部は、そのような形でのドゥゴールのパリ乗り込みを許すはずがありません。
したがって、ドゥゴールとすれば、なんとか形を取り繕って北フランス(ノルマンディ)まで行き、あとは得意の「雲隠れ=隠密行動」でパリに潜り込むということになります。
8月22日、ドゥゴールは連合国の許可を受けて、ノルマンディまで飛行機で飛びました。
おそらく、ルマン市庁舎に設置された連合軍臨時司令部の視察とか表敬訪問とか、もっともらしい理由をつけてのことでしょう。
実際にはドゥゴールは、連合軍司令部に乗り込み、パリ進撃を要請するつもりだったのです。それは、ムチャクチャな文字通りの「アクロバット飛行」でした。
ところが、調達できた航空機はオンボロで、しかも燃料はギリギリでした。
おまけに気象条件は悪く、燃費の悪い飛行になって、少ない燃料を途中で使い果たして不時着するか、墜落するかもしれない危ない賭けでした。
雲が多く視界が悪かったので、飛ぶコースを誤ればドイツ軍の対空砲火の餌食になったかもしれません。あるいは、ノルマンディからはるか遠いところに着陸するしかなかったかもしれません。
パイロットの腕の優秀さと幸運が味方しました。
燃料が完全に尽きるまであとわずか2分間というきわどい状況で、飛行機はノルマンディの牧場に着陸できました。ドゥゴールは、はったり屋ではありますが、命がけのハッタリを仕かける天才なのかもしれません。
ドゥゴール一行は、そこから車でルマンの司令部に赴きます。
翌日、ドゥゴールは司令部に連合軍のパリ侵攻を要求しましたが、あえなく拒否されました。ドゥゴールが言うような形でのパリ侵攻は論外です。
しかし拒絶の答えは、すでにドゥゴールの腹に織り込み済みでした。