トーマス・スタークは、北アメリカ西海岸を走る長距離鉄道会社の機関士(運転士)。大好きな鉄道の仕事をしている。けれども、今日は、悲惨な運命から逃げるために自宅から遠ざかろうとするかのような気分で、特急列車を走らせていた。
トムが現実逃避のような気分になっているのは、最愛の妻メーガンがまもなく死ぬことが避けられないことを知ったからだ。
つい最近、診断の結果、メーガンが末期癌に侵されていることがわかった。メーガンはこれまでに何度か乳癌の治療や摘出手術を受けていた。彼女の左側の乳房は切除されてしまっている。ずっと治療を続けてきたが、癌が全身の骨に転移してしてしまい、もはや手の施しようがなくなったのだ。
メーガンは医師に余命はどれくらいか尋ねた。返ってきた答えは、 「余命はあと数日かもしれないし、数か月かもしれない。予測はできないが、『末期』になってしまっている」というものだった。自らも看護士であるメーガンは、状況を正確に理解していた。
彼女は毎日、全身のダルさやひどい腰痛、そしてときおり襲う鋭い頭痛と闘っていた。痛み止めもきかなくなっていた。トムとしては、愛する妻の傍らにいてやらなければならないのだが、彼は妻の悲惨な運命(そして最愛の伴侶をもうすぐ失ってしまうという自分の運命)をどうしても受け入れることができなかった。それで、妻のそばを離れて仕事に出ていた。
今朝も、「仕事を休んで妻のそばにいてやれ」という上司(機関区長)のアドヴァイスを振り切って、特急「スターゲイザー」の運転をする仕事についた。
機関助手はオーティス・ヒッグズという黒人の若者で、仕事の合間を縫って大学の会計学の講座を受けていた。将来は会計士になりたいのだという。彼の気楽な会話を聞きながら、トムは、メーガンと出会った頃のできごとを回想した。
レストランの(おそらくはパートタイムの)ウェイトレスだったメーガンにぶっきらぼうにデイトの誘いをかけて、たしなめられたことを。
「もっと品良く丁寧に誘ってくれたら、デイトに申し出を受け入れるわ」と
その頃トムは、鉄道と列車の本を読みふけっていた。将来、鉄道の運転士になるために。傍らにいるオーティスのように若く、将来の夢を追いかけていた頃だった。
数瞬の回想から覚めたトムは、しばらくして――発車準備ができたのち――列車は、定刻に5分遅れてオークランド駅からシアトルに向けて出発した。