トムが運転する特急列車はしだいに速度を増して、時速90マイル近くになった。ところが、トムとオーティスは1kmくらいの前方の踏み切りに乗用車が停止しているのを発見した。しかも、線路は右に大きくカーヴし始めていた。
オーティスはトムにブレーキをかけろと叫んだ。だが、カーヴにしかかっての急激な減速は危険である。トムは運行規則どおりに、列車の安全を保てる範囲内での減速制動をおこなうしかなかった。規則は、乗客と列車の安全を優先するよう求めていた。
というのは、先頭のディーゼル機関車だけが牽引力(駆動力)を備えている列車(バンドワゴン)では、先頭の機動車が急激な制動をかけると、巨大な運動エネルギーの逃げ場は(車輪とレイルとの摩擦熱・音や振動のほかに)横揺れや縦揺れしかない。しかも、連結器による、いわば点線による接続にために各車両の上下左右への揺れが増幅される。つまりは、脱線の危険性が増大するからだ。
というわけで、踏切に差しかかったとき列車の速度はま毎時だ50マイルを上回っていた。制動をかけながらも列車はローラが乗った乗用車に衝突した。車は列車の鼻面に押し潰されながら、数百m引きずられた。当然、大破してローラは即死だった。
ただちに事故は、警察や消防、鉄道機関区に通報された。警察や消防、医療機関、鉄道関係者が駆けつけて、現場検証が始まった。トムは、その場で医師による呼気検査と健康診断を受けた。アルコールや薬剤、あるいは疾病による視覚や意識、判断力への影響があるかどうかを調べるためだった。この検査では異常は発見されなかった。
その後、トムは警察や消防、鉄道関係者の尋問を受けた。「乗客と列車の安全のために運行規則どおりに減速した」というのが、トムの一貫した返答だった。
連邦法によると、州際的規模で輸送手段を運営する鉄道会社や航空会社は、大規模または人命が失われた事故のさいには、地元行政機関ならびに専門家らとともに事故調査委員会を組織して、事故の原因や経緯の調査をおこなうことを義務づけられている。この事故でも、鉄道会社は、すぐに事故調査委員会を立ち上げ、専門家による現場検証と検死の結果報告をまって、審問と検討をおこなうことになった。
トムとオーティスは、会社から2週間の業務停止(休暇)と自宅待機(遠方への外出の制限)を命じられた。
この事故によって、トムはデイヴィと出会うことになった。もっとも、デイヴィは列車の運行規則の内容を知らないから、列車の運転手が急減速をしなかったために、母親が死んでしまったのだと思っていた。
ともかく、これでデイヴィは親のいない孤児になってしまった。
そして、トムは勤務の停止によって、末期癌に侵されたメーガンと毎日自宅で過ごすことになった。これまで目を背けていた現実と直面することになった。だが、トムがこれまで現実を直視できずにいたため、メーガンとの関係は大変にぎこちないものになってしまった。