英語に《 down town 》があるように、日本にも「下町」という優雅な言葉がある。
今日の日本では、「下町」の本当の意味は少なくとも、人びとの会話やイメイジからすっかり忘れ去られている。
この言葉ができたのは、江戸時代のはじめ。徳川幕府の権力中枢、千代田城の直下の町筋、つまり「しろした:城下」の街並みを意味した。そこは、隅田川ないし外堀の内側にあって、江戸城の「総構え」の範囲として城郭の軍事的防衛区画に取り込まれていた。
もともとは江戸城の内堀の周囲の町、日本橋、銀座、京橋から神田を中心にした華やかな中心街=古町を意味したのだ。したがって、伝統ある格式が高い中心街を意味する。
区域としては、江戸城と、その真北の神田川、東の隅田川、南の数寄屋橋あたりまでといわれている。
いま東京で「下町」といえば、大方の人は葛飾区や墨田区、江東区をイメイジするようだが、本来の下町は、本来、千代田城から隅田川の西岸までの地区だ。
昭和になってからの、とくに第2次世界戦争後の開発で、「江戸の田舎」、当時の郊外に住宅街が建設され「山の手」なるキヤッチコピーが使われるようになると、繁華で華やかな町というイメイジは、本来の「下町」から奪われていった。
イングランドでも、《 down town 》は、有力君侯の「城の直下の由緒ある町=中心街」という意味をもって生まれた。 town down the castle / down the fortress という意味で。ヨーロッパと日本はきわめてよく似た文化を持っている。
アメリカでも、大都市の由緒ある古くからの中心街をダウンタウンと呼ぶ。
そこには、旧い昔からの小さな住宅や住宅兼事務所などが、せまっ苦しい面積の土地にひしめき合っている。それが、昔は活気のある、繁華街、人口密集地だったのだ。
けれども、大規模な産業社会が発展すると、有力企業の管理中枢となる広壮なオフィス街は、昔の郊外(以前の近郊の衛星都市)に立地され、都市機能の中心は、以前のダウンタウンから移っていった。
流行から取り残された旧中心街では、土地や住宅の価格は低落し、新興の金持ち階級は、その外側に建設された「流行の先端」を行く新たな中枢地区に住居やオフィスを構えていくようになる。
旧い中心街は、どちらかといえば、昔からの住民(社会的地位の上昇から取り残された)や高齢者、そして低所得層が暮らす街区になっていく。
ところで、メトロポリス=ロンドン(とくにシティ・オヴ・ロンドン)は、ブリテンのほかの地方とは次元を異にした社会空間をなしている。
というのも、ヨーロッパはおろか、世界経済の全域にわたる貿易と金融投資の最大のコントロールセンターの1つとなっているからだ。ニューヨークと並んで。
400年以上におよぶ歴史の厚みをもつ貿易金融、海外投資、投資保険、貿易保険、海運保険などのシステムは、場合によってはニューヨークをはるかに凌ぐ仕組みや裏技を備えている。
ブリテン全体としては、1960年代から産業経済が低迷してきたが、ロンドンは世界の各地から貨幣資本や金融資産が集まってくる特殊な都市(世界のメトロポリス・世界都市)であり続けてきた。
J・メイナード・ケインズによれば、金融資本の権力が強すぎることがブリテンの工業の低迷ないし衰退の原因なのだという。そして、シティの金融資本は貴族・地主階級の伝統的な支配階級と融合して強固な権力ブロックを形成し、いかなる政権も金融資本の権力を抑制する政策をとらせないのだという。