ユーリーナは、曲想(曲のコンセプトないしイメイジ)をつかみ、それをピアノの奏法(微妙なリズム、速さとかタイミングの取り方)として表現するセンスを培うことを非常に重要視している。
で、曲想を正確につかみやすい楽曲を練習曲にしている。
そうなると当然、そのお気に入りはルートヴィヒ・ファン・ベートーフェンのようだ。映像と物語の展開からは、そう見える。
ベートーフェンの曲は高い諧調性をもち、構築性=組み立てが明快だといわれている。
たしかに、私のような素人が聞いても、きちんと整えられたキューブから組み立てられた建築物のようで、立体感とか輪郭や陰影がはっきりした絵のようだと感じる。
音階の著しい飛躍はなく、旋律の変化は地味でさえある。ところが数小節流れると、広壮で美しい聖堂のような構築物が描かれているようだ。
ただし、デザインが明確な曲だけに、演奏家にとってはかえって難しい側面もあるような気がする。演奏技巧よりも、楽想に対する洞察力というか知性をとことん要求されるのではなかろうか。
というわけで、基礎固めの練習曲としては好適なのだろう。
また、スザーツカは弟子たちには、おやつとして彼女手焼きのクッキーを食べさせた。脂肪や添加物たっぷりで、調味料や塩分、栄養が過多のチップス菓子をあまり食べないように注意しているのだ。
ここにも、現代文明に距離を置いて、音楽芸術と同様に、じっくり手をかけた食生活・食物文化を貫こうとしている。何ごとにもハイグレイドだ。
マネクはマダム・スザーツカに入門してから、少なくとも週2回はエミリー家にやって来るようになった。
このエミリーの家は、少なくとも1世紀ほど前に、ロンドンの中心街に立てられた3階建ての瀟洒な建物だ。シャーロック・ホームズの時代なら、超高級住宅だっただろう。
エミリーの家は、当時は、相当によい家柄だったのだろう。なにしろ、周囲の人びとから《レイディ・エミリー》と呼ばれているくらいだから。
「レイディ」はもともと貴婦人を意味し、社会的地位や身分が高い家系の婦人(夫人)の敬称だった。
あるいは、彼女の曾祖父は、シティの有力な貿易金融会社の役員を務めていて、退職時に高額の年金と爵位を与えられたのかもしれない・・・と私は、勝手に想像してみる。
そんな由緒が感じられるくらいの立派な建物だ。だが、いまは古びて十分な手も入れられず、老朽化や傷みが目立つようになっている。
強い上昇指向をもつインドからの移民女性の息子であるマネク。これに対して、この家の住人は、ロシア貴族の末裔のスザーツカ、かつてのロンドンの名門家系の子孫である老婆、整体師の老人、ポップミュージシャンをめざす若い女性。
この取り合わせは、じつに面白い。世界都市ロンドンの歴史100年間を圧縮して表現したような住民の取り合わせではないか。
マネクは、この人びとと出会い、非常に親密になっていく。