マダム・スザーツカ 目次
原題と原作
見どころとテーマ
あらすじ
映画が描き出すもの
家族、そして・・・
ネイバーフッドの崩壊
ダウンタウンとは何か
取り残されたダウンタウン
ダウンタウンの移民社会
移民たち…豊かな音楽芸術
そして、再開発ブームの嵐
変貌するダウンタウン
スザーツカのレッスンは登竜門
ピアノ教師への道
スザーツカシステム
天才児がやって来た!
マネク・セン
女ドラキュラ伯爵
孤高 スザーツカの生き方
構築性ならベートーフェン
出会いと絆
整体師コードル
ジェニー
立ち退きを…エミリー
誕生祝いのパーティ
マネクの悩みと決意
ディレンマ
ロニーの思惑
レオ・ミーレフ
旅立ちと別れ
エドワードの来訪
苦いデビュー・コンサート
それぞれの旅立ち

■ダウンタウンの移民社会■

  ロンドンの経済的な磁場ないし重力は恐ろしく強力で、ブリテン全域はもとより、ヨーロッパ、さらにアジア、アフリカからも多くの人口や資源を引き寄せてきた。
  それというのも、広大な旧ブリテン帝国植民地の住民は、コモンウェルス構成諸国としての特権=恩恵を受けて、比較的容易に移住することができたからだ。
  アジアやアフリカ本国では経済的機会にめぐまれず、あるいは差別や階級格差のなかで行きづまりを感じた多数の人びとが、ヨーロッパの「先進国」の一角にもぐりこんで、社会的・経済的地位の上昇へのチャレンジを試みるわけだ。
  経済の流行から取り残され、建築物の老朽化が進み、家賃や賃貸料が低落した、ロンドンの旧中心街は、ブリテン国内で仕事やチャンスにあぶれた人びとはもちろん、そうした海外からの移住者が集まる地区となった。
  それは、同時に一部でのスラム化、犯罪多発地区化を招いたのだが。
  ブリテン経済は、こうやって、低賃金の未熟練労働力を調達し、本国人たちが厭うような職場にあてがってきたのだ。

  今ブリテンでは――UKIP(EUからの離脱派政党)が煽動的に主張するように――移民流入が社会福祉や財政危機、雇用の低迷の原因だから移民ないし難民流入を阻止しようなどとタワゴトがかなりまかり通っている。そして、それがEUの制度枠組みのせいだとしている。
  とんでもない虚偽と欺瞞である。イングランド、とりわけロンドンはブリテン帝国が支配した世界経済の中心部、世界都市、世界の中心都市としての権力と磁力によって数百年間、世界各地から富とともに人びとを引き寄せてきたのだ。ブリテンの世界支配ないし世界経済での優位の帰結だった。
  したがって、EUをはじめとする世界経済との流通経路、人口移動回廊を閉じてしまうとしたら、それこそシティの禁輸権力の世界的展開のチャネルを自ら放棄することになる。つまり、さらなる低落への一歩でしかない。
  先頃の選挙で保守党は、過去の歴史から民衆に目をそらさせて、UKIPに惹きつけられた頑迷保守層を取り込んで大勝利したが、崩壊への起爆剤を抱え込んでしまったかもしれない。【2016年現在の記事】

  2021年3月現在、この記事を微修正している―― 一時の気の迷いでブリテンのレファレンダムではEU離脱派が勝利して、離脱が実現した。予想したとおりに大変な混乱が発生している。その混乱はCOVID(コロナウィルス禍)で増幅されている。

  とにかく、エミリーの家から程近い地区は、治安が低下はしたものの、世界の各地からチャンスを求めてやってくる「異邦人」=移民たちが集積し、新たな共同体や活力を生み出す場ともなった。
  とりわけ、ブリテンがかつて(パクス・ブリタニカの時代)、広大な植民地として擁していた(そしてその後も、ブリティッシュ・コモンウェルスとして影響力をおよぼしていた)インド・パキスタン、中東地域、南部アフリカなどからは、毎年多数の人びとが移住してきた。

  この映画の主人公の1人、ピアノの天才児、マネクとその母親も十数年前にインドのデリーからチャンスを求めて移住してきた人たちだ。
  この移住がなければ、マダム・スザーツカがシューシラ・マネク母子と出会う機会はなかったはずだし、天才ピアニスト、マネクのヨーロッパ音楽界への登壇も起こりえないはずだった。

■移民たちが生み出した豊かな音楽芸術■

  あとで見るように、主人公、ユーリーナ・スザーツカもまた移民の子である。
  母はロシアの有力貴族の令嬢だったが、ロシア革命で地位と資産を失い、家族ともどもアメリカに亡命したのだった。あのラフマニノフと同じように。
  やがて、西ヨーロッパやアメリカに亡命=移住したロシア貴族の末裔たちのなかから、音楽の歴史を塗り替えるほどの多くの天才音楽家(とくにピアニスト)が登場してくる。
  あるいは、すぐれたピアノ(音楽)教授となり、多数の若手天才ピアニスト(音楽家)を輩出させていく。

  そしてスザーツカの母もまた、アメリカでも高名で優秀なピアニストとなり、やがて、ロンドン音楽院(今のロンドン大学音楽院)からの招聘を受けてロンドンにやって来た。
  ユーリーナは、音楽院きっての優れたピアノ教授の愛娘にして、随一の才能を持つ弟子だった。
  要するに、マダム・スザーツカは、比較的恵まれたエリート階級としてではあったが、生き延びるチャンスを求めてロシアからアメリカに渡り、そして音楽エリートとしての活躍の場を求めてロンドンにやって来た移住者=移民の子だった。

  こうして、ロンドンの音楽界は、海外からの移住者たちの新しい才能と遺伝子によって、飛躍し続けるのだ。
  芸術の新たな躍動は、外部世界から来た異邦人たちによって生み出されるのだ。
  ブリトン(ブリテン人)たちは、おかげで音楽ファンとしての耳を肥やして、彼らの背後で音楽業界の資本家やプロモウターとして金を稼ぐ……のかな?
  ビートルズやローリングストーンズなどの現代ポップ(ロック)音楽家たちは、そういう土壌なしには生み出されなかった、と私は思う。

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