一方、ロニーはといえば、音楽エイジェンシーの同僚と、間近に迫ったロンドン・シンフォニー・オーケストラを中心とするフェスティヴァル(音楽祭)の企画とプロモウションに取り組んでいた。
この楽団はフィクションだが、実在するロンドン交響楽団( London Philharmonic Orchestra :世界でも最高の楽団の1つ)をこの物語に合わせて仮託したものと思われる。つまり、ヨーロッパ屈指の名門交響楽団だということだ。
当面の営業上の課題は、音楽祭のスポンサー企業を増やすとともに、マスメディアの注目を集めるような「目玉企画」を立ち上げることで、ロニ―はあれこれ模索していた。その目玉が、ロンドン・シンフォニーの公演に15歳の天才少年ピアニストのデビュー演奏会をコラボレイトさせるという計画だった。
これが実現すれば、少なくとも大企業のインド航空のスポンサーシップは確実に獲得できるうえに、マスメディアが飛びつく話題を提供できる。そのうえしかも、クラシック放送専門のラディオ局の番組として実況放送も組めそうだ。
ロニーはマネクを高級レストランの食事に招待して、そこでマネクの飛び抜けたセンスと技術を高く評価し、プロデビューを強く勧めた。超一流の交響楽団、ロンドン・シンフォニーとの共演というデビューの舞台を設定する、と。
だがマネクは、目先の金儲けよりも基礎技術や感性・知性を磨くことを進めるスザーツカの指導の大切さもわかっていた。
もうひと押しするためにロニーは、ロンドン・シンフォニーのコンサートホールにマネクを連れていって、舞台のピアノ(これもおそらく超一流のピアノ)を演奏する機会を与えた。音響効果抜群のホールでしかも最高の品質のピアノ。そして世界最高の楽団。
ロニーの紹介で最後にマネクが訪ねたのは、ピアノ指導者のレオ・ミーレフの教室だった。
彼は、基礎固めを修了した若いピアニストに、プロとしてのハイテクニックや繊細な表現技法を丁寧に指導することで、高い評価を得ていた。基礎教育のスザーツカとプロ養成のミーレフとは、ライヴァルだった。
少なくとも、スザーツカにとっては、油断のならない競争相手だった。
というのは、スザーツカの教室で基礎をしこまれた年少のピアニストが高い評価を受けると、やがてミーレフの教室にヘッドハンティングされてしまったことがあるのだ。
とはいっても、ミーレフが誘って才能ある生徒を奪うのではない。本人(天才児)たちが、そういう形でスザーツカ(ピアノの母親)からの自立をめざすのだ。つまりは、ともにエリートの登竜門で、教える段階を異にして役割分担=分業しているのだ。
だが、スザーツカはそれを認めようとしない。
レオ・ミーレフにも、やはり新進気鋭の少壮天才ピアニストとして将来を嘱望されたときがあった。だが、デビュー直前、右手を麻痺が襲った。
両手ではピアノが弾けなくなってしまった。長い苦悩を経て、ミーレフは優れたピアノ指導法を確立し、自分が果たせなかった夢を、少年少女たちに託すことにした。そして、彼自身は、スザーツカの教育法・指導法をきわめて高く評価し、尊敬していた。
そこで、基礎教育はスザーツカに譲り、自らは表現力や技法を洗練すること徹しているように見える。ともにスラヴ系の名前なので、互いにライヴァル意識もあるのかもしれない。
さて、ミーレフの教室の一隅で、弟子たちへの指導法を見せてもらったマネクは、そこにまさに自分が求めていたもの、自分にいま欠けている要素を育てるはずの何かを見抜いた。
スザーツカの厳しい基礎レッスンがあればこそ習得した眼と感性、技術が、ミーレフの指導法の本質を見抜いたのだ。
マネクは、レッスンが終わったミーレフに面会して、マダム・スザーツカの基礎教育を受けていること、近くロンドン・シンフォニーとの共演デビューに挑戦すること、そしていまは、ミーレフの指導を受けようと決心したことを語った。
だが、ミーレフは紳士だ。
そこで、デビュー公演が終わってもその決心が変わらなければ、弟子として受け入れると返答した。そして、スザーツカにはその意思を自ら伝えることを求めた。
つまりは、マネクがスザーツカの指導からの「卒業」の意思を自己確認し、スザーツカにその決心を告げて「けじめ」と礼節を守るように、ということだ。
ミーレフとしても、スザーツカのもとで基礎を固めた優秀なピアニストは欲しかった。だが、スザーツカを尊敬する彼としては、「強引な引き抜き」のような形は取りたくなかったのだ。