くたびれた中年の弁護士、フランク・ギャルヴィンは今日も、新聞の「死亡者欄」に目を通していた。
葬儀会場に遺族を訪ねて、遺産相続の手続きや遺産相続をめぐる簡単なトラブルの処理という「お手軽な仕事」にありつくためだった。
お手軽な仕事には、死亡者に治療を施した病院を訴えて示談金をせしめたり、事故による死亡者の当事者からこれまた示談金を巻き上げたりする法務も含まれていた。
だが、弁護士としての名刺を手渡す彼のあさましい魂胆は、遺族や会葬者たちに容易に見破られ、冷たく追い返されるのが大方だった。
哀しみにくれる葬儀の場に割り込んで、安易な売り込み商売の場とするギャルヴィンの行動は、当惑や顰蹙を買う方が多かった。なかには「恥を知れ、もう顔を出すな」と追い返す葬儀社もあった。
むなしい行動の日々。
そして、今日もジントニックやブッシュミルズ(ウィスキー)に溺れていた。アルコールが抜ける間もなく、その日も夕刻、なじみのバーに立ち寄ってしこたま酔っ払った。
そう、ギャルヴィンは羞恥心も矜持もどこかに置き忘れた敗北者で、アルコール依存症だった。心が委縮してしまって何かから逃げ回るような毎日。
飲んだくれて事務所に戻ると、部屋のなかは乱雑に荒れ果てていた。
ギャルヴィンはそんな弁護士生活にも自分自身にも腹を立てたように、事務所の書類や物品に当り散らした。あげく、床にへたり込んでしまった。
そこに、ギャルヴィンの法廷弁論と証拠・証人調査の師にして、かつて法律事務所の共同経営者( partner )だったミッキー・モリシーがやって来た。
無駄とは思いながら、ギャルヴィンに「喝」を入れるためだ。というのも、若き日のギャルヴィンの才能の資質、努力を忘れられずに、再起を期していたからだ。
「このあいだ紹介した事件はどうなった。あれは、金になる(ごく普通にやれば、高額の賠償金=示談金が獲得できる)事件なのに、飲んだくれて、何も準備をしていないじゃないか。手をつけないのなら、これっきりで、君にはもうかかわりたくない」
面倒見の良い恩師で、友情に厚い古い弁護士仲間の忠告だった。
1970年代の冬、合州国、マサチューセッツ州、ボストンでのできごとだった。
ギャルヴィンは無能なわけではなかった。
20年ほど昔、ボストンの法律大学院を第2位の優等で修了したギャルヴィンは、新進気鋭の弁護士としてボストンの法曹界に華々しくデビューした。すぐにスターン一族(法律家を輩出するボストンの古い名門家系)が牛耳る法律事務所に招かれ、未曾有の若さで高名な法曹雑誌『法律評論』の編集員に名を連ねた。
やがて、着々と実績を重ね、やがてスターンの一人娘と結婚し、事務所でのパートナー(共同経営者)への登壇への道を保証されたかに見えた。
ところが、彼が担当した訴訟事件で、事務所の経営危機におののいていた所長のスターンが、敗訴を恐れて裏から手を回し陪審員の買収工作をおこなっていた。
そのとき、ギャルヴィンは勝訴に結びつくはずの証拠を見出し法廷弁論で優位を確保する手立てを準備していた。
司法の公正を信奉するギャルヴィンは、スターンの買収工作を知ると彼を難詰し、担当判事とボストン司法委員会に告発しようとした。
ところが、有力な法律事務所は独特の権力組織であって、ボストンの裁判官や法曹界の有力者、地元の政治家や中央政界とも結びついていた。司法組織もまた権力装置であって、すでに名声や権力を獲得している家門や派閥勢力と結びついているのだ。
スターン一族はギャルヴィンに対する反撃を開始して、ギャルヴィンを解雇し娘と離婚させ、彼を逆に告発した。
司法委員会と弁護士会は、有力者の後ろ盾を受けたスターンの工作を受けて、陪審員買収工作の容疑をギャルヴィンに押し付け、彼に自分の罪と認めないと弁護士資格を剥奪すると脅迫した。
ギャルヴィンに不利な証拠の山が捏造され、すっかり包囲網ができあがっていた。
ボストン法曹関連の権力機構を総動員した攻撃に、ギャルヴィンの意思は挫けてしまい、罪を引き受けてしまった。
それ以来、彼は「負け犬人生」を余儀なくされている。というよりも、人生を投げてしまったのだ。