評 決 目次
原題と原作
見どころ
あらすじ
アル中弁護士ギャルヴィン
  裏切りと失意
デボラー・ケイ
  巨大組織の思惑
パウワーゲイム 訴訟
  ローファームの作戦
  切り崩し
追い詰められたギャルヴィン
  貧弱な持ち駒
  鉄壁の包囲網
正義と現実のはざまで
  被害者救済の難しさ
捨て身の法廷闘争
  包囲網の小さな穴
  麻酔医師の証人尋問
重い現実、局面の転換
  ローラの苦悩
ケイトリンの苦悩と証言
  驕れる者の落とし穴
  暴かれた事実
  弱者の矜持と苦悩
評  決
「権力は絶対的に腐敗する」のか?
  訴訟理論の見方
  権力腐敗の政治学
  弱者の生きる知恵
日本の場合
  中央官庁の政治力学

◆権力腐敗の政治学◆

  にもかかわらず、できなかった。なぜか。
  巨大な組織や権力をもつ立場の者たちには、権威や権力、名誉や影響力を保持し続けようとする欲求ががはたらくのは避けられない。それは、人間という生物に本能的に備わった生存欲求、欲望のようなものだ。

  法律事務所は、商売上の競争で生き残り勝ち続けるためにも、自分たちの弱みを垣間見せることができなかった。それほど、自分たちの名誉や特権は大きかったのだろうか。
  1人の患者(すでに破壊された人生)とその家族を完全に見捨てても。
  しかも、病院の言い分を鵜呑みにして、改竄を拒否した元看護婦を追放し、職業資格をほとんど奪うようにしていた。
  病院という権力組織の内部にはたらいた腐敗へのダイナミズムは、すでに見たとおりだ。

  してみれば、やはり権力は必ずどこかで腐敗するのだろうか?
  いや、権力階梯の上段や頂点にまで登りつめれば、自分たちが主導して組織・運営する機関や団体の本来の、そもそもの存在目的を平然と踏みにじり、自己の権力や利益の保持を自己目的化してしまうのか。
  言い換えれば、権力や権威の保有者は、成功すればするほど、失うものの大きさに戦慄して、恐ろしいほどに傲岸不遜になるのか。民衆や弱者、敗者をどこまでも蹂躙して平然としていられるのか。

  つまるところ、権力がはらくということは、組織の権限を行使できる地位に特定の個人――私的な欲望の担い手――がついて、高額の報酬や名誉などを受けながら、判断し行動するからだろう。
  大きな権限や影響力をふるうことに酔い、満足や快感を覚えるようになる。
  チヤホヤされ、耳に痛い情報は周囲の者が伝えたがらないので、ますます実情から離れた判断をするようになる。
  自分個人の利益や名誉を守ることが、すなわち組織の利益や名誉を守ることと勘違いすることになる。これを「自己の肥大化」と呼ぶ。

  この作品では、大病院という組織が題材となっている。
  人びとの生命と健康を守るのが、そもそもの設立の目的だったはずだ。おそらく、この病院のほとんどの勤務・従業者と活動は、この目的に沿って献身的に動いているはずだ。この事件のような過誤は、きわめて例外的な事例だろう。
  過失事実の隠蔽という犯罪的行為も、始まりは「小さな嘘」「小さな隠蔽」だった。それが、権威や経営上の利益の損失に絡んで、「大きな嘘」への自己増殖、膨張へとつながった。
  昏睡状態に陥った患者を見殺しにし、改竄を拒んだ看護婦を追放することになった。
  こんなことを書いている私も、同じ立場に立てば、同じ心理になるだろうし、たぶん同じことをする可能性はきわめて大きい。まるで生物学の法則のように。

◆弱者の生きる知恵◆

  振り返って、自己を省みる。
  毎日、仕事や生活で小さな失敗や過失を繰り返している。
  それを認めたり、職場の仲間に知られることは恥ずかしい。だが、多少の言い訳を用意したところで、結局、正直になるしかない。
  倫理観や道徳心からではない。庶民の、貧乏人の「生きるための知恵」なのだ。
  はじめに小さな誤魔化しをすれば、つじつまを合わせたり、駆け引きで自分の責任をこれ以上大きくしないために、あとになるほど大きな嘘を重ね合わせ、膨らませていかなければならないからだ。
  いずれは、巨大化した嘘や誤魔化しは、だれの目にも明らかになる。金も権威もない庶民の私たちには、仕える言い訳もごく限られているし、自分の身代わりの人身御供はいないのだ。
  ならば、事が大きくならないうちに、自分の誤り・過ちを認めるしかない。

  こういう卑小な事実から類推するに、
  組織や団体の頂点に君臨するものは、多くの場合、権力の階梯を登るために、どこかで後暗い駆け引きや、責任逃れ、失態の身代わりなどで切り抜けることがあって、権力が大きくなるほど、そうなる。
  出世で手を貸してくれた者への借り、そういう借りによって相互依存関係(もたれ合い)も拡大する。大きな権力をもつ者どうしの相互依存=もたれ合いは、ある範囲では互いの失敗や過誤に目をつぶり合う関係を生み出すかもしれない。
  やがて、自分の権威や威信は必ず守られるはずだ、守られるべきだ、という思い上がりが日常化するのではないか。

  それに。権力に地位の階段を登るにつれて、本来の自分の良心や価値観に正直に生きることが許されなくなることも多いだろう。自分の地位や権限を生み出す組織というか権力の構造のなかに取り込まれて、身動きが取れなくなるのだ。

  こういう「喪失への怖れ」とか「失敗の心理」という側面から権力やその担い手を分析する学問があってもいいかもしれない。政治権力や政治組織でのこういう問題については、5世紀以上も前にマキァヴェリが鋭い分析をものしている。

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