評 決 目次
原題と原作
見どころ
あらすじ
アル中弁護士ギャルヴィン
  裏切りと失意
デボラー・ケイ
  巨大組織の思惑
パウワーゲイム 訴訟
  ローファームの作戦
  切り崩し
追い詰められたギャルヴィン
  貧弱な持ち駒
  鉄壁の包囲網
正義と現実のはざまで
  被害者救済の難しさ
捨て身の法廷闘争
  包囲網の小さな穴
  麻酔医師の証人尋問
重い現実、局面の転換
  ローラの苦悩
ケイトリンの苦悩と証言
  驕れる者の落とし穴
  暴かれた事実
  弱者の矜持と苦悩
評  決
「権力は絶対的に腐敗する」のか?
  訴訟理論の見方
  権力腐敗の政治学
  弱者の生きる知恵
日本の場合
  中央官庁の政治力学

「権力は絶対的に腐敗する」のか?

  この映画(原作)では、大病院と世界的権威をもつ医師団が敗訴することになった。
  その最も大きな原因は、医師団が自分たちの重大な過失を隠蔽し、過失責任と権威・名誉の失墜(これには医師資格の一定期間の停止がともなう)を免れようとムリな画策を弄したことにある。
  この状況設定について、当時の映画の観客も私たちも、ことさら違和感を抱くことはないだろう。
  むしろ、「さもありなん」と妙に納得する。「判官びいき」からか。それとも、私たちの日常的な経験、見聞とさほどかけ離れた事態ではないからか。

◆訴訟理論の見方◆

  訴訟論から見ると、
  タウラー医師(それに病院の経営陣)たちは、全身麻酔前のデボラーの直近の食事からの経過時間を見落とし、おこなってはいけない麻酔処置を施した。そして、首脳医師団と経営陣の病院組織内での絶大な権力と権威を背景に、調査票を改竄し、関係する看護婦や病院スタッフの全員に秘匿(緘口)を命じた。
  こうして、事実に完全に蓋をしてしまった。
  それでも、病院理事会がデボラーとその家族に対し、巨額の補償金=和解金を支払って示談にもちこんでいれば、深刻な過失はこのように発覚することはなかった。
  そして、ボストンまたはマサチューセッツの医療審議会なりに、過失の免責と引き換えに、事実を報告し(この報告は、その後の医療過誤防止のためのマニュアル指針となる)罰金を支払えば、名誉の失墜は大きくならなかったし、医師資格の停止(剥奪)にはいたらなかっただろう。

  アメリカでは、専門知識・技術を必要とする職務については、自らの過誤・過失について裁判や監督当局の調査にさいして自ら申告すれば、資格停止などの最悪の裁決を回避するという(刑法・行政法上の)司法免責制度がある。その後に同様の事故・過誤が起きないように対策を立てることに積極的に協力したということになるからだ。
  もちろん、民事上の賠償責任については別問題だが。

  だが、彼らは事故の実態と過失=過誤の責任をいっさい引き受けようとしなかった。虚偽に虚偽を重ね、欺瞞を弄していった。

  しかし、皮肉なことに、いざ訴訟となったとき、タウラー医師(医療ティーム)と経営陣は、コンキャノン法律事務所に重大な事実を告げなかった。
  仮に告げたとしても、コンキャノンたちは、被告である病院と医師団の訴訟代理人として、この事実を被告らに不利な形で公表することはできない。弁護士は、依頼人に不利な事実を、不利益を被るような形では法廷で表明する、証言させることはできないからだ。つまり、秘匿義務がある。
  ただし、この虚偽が重過失や刑事犯罪を構成する事態となれば、弁護士も秘匿義務を解除され、当局や法廷への通報義務が生じるのだが。そうではあっても、司法取引の余地はある。
  とにかく、この事実を知っていれば、コンキャノンは、病院と医師団のダメイジを最小限に封じ込めるような訴訟戦略を展開しただろう。病院側を説得して和解調停訴訟に切り換えただろう。
  つまり、医師団と病院が、腹のそこから法律事務所を信頼していれば、このような敗訴にもち込まれるような醜態は防ぐことができた。

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