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コンサールヴォは、彼を災厄の種と思い込む父親の権威が支配する実家に帰ったのだから、うまくいくはずがない。ジャコモとの確執・葛藤は深まるばかりだった。
そして、さらに対立を深める事態が出来した。
コンサールヴォの母、マルゲリータが死去、そして時をおかずしてジャコモは従妹のグラーツィエラと再婚したのだ。まるで、マルゲリータの死を待っていたかのような反応に、コンサールヴォは憤慨する。
そういう心の空洞を埋めるかのように、コンサールヴォは街で出会った美貌の娘、コンチェッタに恋をする。だが、名門貴族の嫡男を恋愛の相手にできるはずがないと、コンチェッタはコンサールヴォを避けようとした。
欲望に駆り立てられたコンサールヴォは、コンチェッタを誘惑して強姦してしまった。
ウツェーダ公爵家当主としてのジャコモが、庶民の娘をコンサールヴォの婚姻相手として認めるはずがない。コンサールヴォには、それがわかっていた。しかし、父に逆らってコンチェッタと結婚するするつもりはなかった。大貴族としての特権の享受(富や権威、名誉など)を諦めても、コンチェッタへの愛を貫くつもりはなかったからだ。
人間、父親としてはジャコモを嫌悪、軽蔑しながら、ジャコモの父権と権威には従うことしか考えられないのだった。まことに身勝手な恋心であって、単なる欲望の吐け口としてコンチェッタを傷つけただけだった。
コンチェッタの家族は、コンサールヴォの無慈悲で傲慢な態度に怒り、ある深夜、コンチェッタの兄たちが、酒場をはしごするコンサールヴォを襲撃し腹部をナイフで刺した。いっしょにいたジョヴァンニーノが直ちにコンサールヴォを介抱し病院に連れ込んだので、命を取りとめ、数週間の入院で回復することができた。
ジャコモにとっては、コンサールヴォはますますトラブルメイカーでしかなくなった。そこで、ジャコモは、コンサールヴォをカターニャから追い払うことにした。遊学資金はたっぷり出してやる代わりに「家には寄りつくな」と言い放つような態度で、息子をローマやミラーノへの遊学に追いやった。
コンサールヴォとしても、旧弊な因習にとらわれたシチリアにいるよりも、大貴族の御曹司として優遇されながらローマやミラーノ、さらにロンドンやパリの大学で学ぶ方が楽しいと割り切ったのだろう。
ジャコモは、コンサールヴォの介添え役としてバルダッサーレをつけた。コンサールヴォが幼い頃から、薄情な父親に代わってコンサールヴォの面倒を見てきたからだろう。
イタリア各地でリソルジメントが勢いを得て、しかもシチリア島に上陸したガリバルディの遠征軍がナーポリ王軍を打ち破って、島全体を掌握支配するようになった。この現状を見て、目先の欲に敏いジャコモは、それまでのコチコチの守旧派(ボルボーネ王党派)の立場をいとも簡単になげうって、イタリア王国樹立派に乗り換えた。
カターニャの革命派を支持する側に回ったのだ。そして、遠征軍によってカターニャの市長に選出されたのは、あのジュレンテ弁護士だった。
平民出身のジュレンテ弁護士は、以前からウツェーダ家に出入りしていた。そして、12年前、ジャコモの妹にして未婚のルクレーツィアはジュンレンテに恋をした。だが、身内の女性の婚姻を――ジャコモが当主公爵として家父長の権力を行使することができるから――政略結婚、すなわち有力な貴族家系との血縁同盟の手段としてしか考えていなかったジャコモは、当時からルクレーツィアのジュレンテとの結婚には強く反対していた。
ところが、シチリアの政治的力関係において革命派の圧倒的優越をもたらされると、ジャコモは、俄然、ルクレーツィアとジュレンテの結婚を認めることになった。カターニャの市長と血縁を結ぶのは、むしろ、ウツェーダ家の立場を守るために不可欠の条件となったからだ。
そのジュレンテ弁護士は、早くからリソルジメント派にくみしていて、先頃の戦闘でもガリバルディ軍に味方して闘い、右脚(膝から下)を失っていた。
不自由なジュレンテの右脚をカヴァーする精巧な義足(きわめて高価)を、ジャコモは妹の婿殿への結婚祝いに贈ったほどだった。日和を見るに、ジャコモの右に出る者はいないようだ。