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悲劇の兆しが見えてくる。
シチリアを含めたイタリア王国でのリソルジメントの方向は転換していく。一方、父親ジャコモと息子コンサールヴォの確執はいよいよ深まっていく。
ロンドンやパリでの遊学を終えたコンサールヴォは、なかなかの見栄えの紳士になっていた。優雅な振る舞いと深い教養を身に着けていた。
しかし、父親には礼儀を尽くして慇懃に振る舞ったが、ジャコモへの深い猜疑心と敵対心は変わらなかった。
一方、ジャコモは、息子を自分が選んだ貴族の家門の令嬢と結婚させて自分の完全な統制下に嫡男を置こうとしたのだが、コンサールヴォは拒否した。いまだにコンチェッタとの悲恋の傷を引きずっているのか。あるいは、公爵としての父権に反発するあまり、家門を継承し子孫を残すことを拒否しているのか。
ジャコモは、言うことをきかないコンサールヴォを打躑しようとしたが、コンサールヴォは反撃し、父親の腕をねじり上げてはねのけた。コンサールヴォは父親を優に凌ぐ体格になっていた。それまでは父親の権威に加えて体格的・体力的優越によって息子に権力と強制力をふるってきたジャコモだったが、今はじめて、自分を容易に蹂躙できるほどの体格に育ったコンサールヴォに対して恐怖心を抱くようになった。
父親への尊敬とか愛情を抱かずにむしろ憎悪や敵対心を抱くように躾け育て上げてきたツケが、今突然回ってきたわけだ。
おりしもその頃、放蕩無頼を尽くしてきたブラースコが死去した。数日前に所領農園で倒れて間もなく死去した。
ブラースコの親族やウツェーダ家門がブラースコ家に集まった。ブラースコの身を案じてというのが名目だったが、本音は、ブラースコの莫大な遺産の分配や相続をめぐる利害関心に引かれてのことのようだ。
余命いくばくもない病床のブラースコは、そういう一族の親族たちの性向や心根を熟知していた。
彼の枕元にい続けて異母兄の心配をしているのは、そういう遺産相続に対してまるきり関心=欲望を抱いていない、異母弟のカルメーロ修道士だけだった。それを知り抜いているブラースコは、遺産の包括相続人をカルメーロにすると書き直した遺書を残していた。
それが、権勢欲のままに振る舞う一族家門に対する死に際の精一杯のあてつけ、反逆だった。
その日ブラースコは死去し、まもなく盛大に葬儀が行われた。
数日後、公証人の手でブラースコの遺言状が開封された。
遺言状の写しがジャコモの手に届いたのは、おりしも、コンサールヴォに反撃されて物理的な脅威を感じた直後だった。
それまでジャコモは、一門の盟主たるウツェーダ公爵の自分に対して、ブラースコは相当額の資産を遺贈するものと勝手に決め込んでいた。目先の権勢欲で動く、そういう生き方をしてきたジャコモにしてみれば、当然の皮算用だったが、完全に目論見は外れた。
しかも、その知らせは、まさにコンサールヴォが帰還し、激しく対立した直後だった。まさにコンサールヴォは家門の災厄の元凶ではないか!
ジャコモは恐怖と怒りを全身に感じた。
というわけで、尼僧が腫瘍の原因だとしている「親族の誰かの呪い」の出所はコンサールヴォに違いないと信じ込んだジャコモは、コンサールヴォを家から追い払った。
コンサールヴォが身を寄せたのは、大叔母(これまた別の公爵家の未亡人)のもとだった。