騎士は単独独立の作戦単位ではなくなり、騎士個人の意思や利害によって動くことはできなくなり、全体の用兵作戦の指揮に従属する要素となった。
騎士を戦力として召集・指揮する君侯は、この作戦ティームを養うための領地や莫大な資金を報酬・褒賞として与える必要があった。
ところが、大砲や銃が軍の戦力の主要な兵器になると、これらに要する費用が巨額になり、見栄えだけ立派な騎士を多数雇うために大金を用いることができなくなった。
騎士はもはや名誉を捨てて、傭兵と同じそこそこの報酬で雇われ、軍隊の上位の指揮官の命令に服する兵士の1人にすぎなくなった。騎乗の戦士は、生き残るために重厚な武装を捨てて、銃を携行する軽騎兵へと転換していく。
ともかく、15世紀後半には百年戦争は終わった。アンジュー=プランタジネット公――ブリテンに追いやられた――を王位継承候補に担ぐ貴族同盟は解体した。
その後、スイス地方の反乱でブルゴーニュ公は戦死し、男子の後継者がいなかったのでブルゴーニュ公家も断絶した。
願ってもない情勢のなかで、フランス王ヴァロワ家による王権の拡張と支配圏域の膨張が始まる――1世紀後にはふたたび王国は分裂し、この王朝は断絶してしまうのだが。
さて「王国の平和」を築くうえで問題は、戦乱のあいだに各地に横行割拠した武装集団=傭兵の群れを抑え込みあるいは駆逐し、また王権に対して独立・分立を言い立てがちな地方領主や都市を王権の権威の下に封じ込めることだった。
そこで王権は、権威がおよぶ範囲内で、有力な傭兵たちを王の直属の常設軍に編入し定期的な報酬を払って統制し、この兵力によって強制して残りの傭兵の武装を解除した。
武器を携行する「荒くれ者」を王国から駆逐することで、王権は農民や都市住民に対する「平和=秩序」の保証者としての権威を獲得した。
かくして組織・運用する常備軍をもって、王国内平和を保証し、他方で臣民や地方領主や都市を威圧することにした。
およそ1700万の王国人口に対して約1万数千の常備軍だったが、当時のヨーロッパでは桁違いでかつ驚天動地の強大な軍事力を意味した。これだけの規模で王権に直属する常設の軍隊を編成したことは、革命的な歴史的事件だった。
ともかく、この頃、領域国家の形成をめざす王権が、貧弱な徴税装置をかろうじて組織し、ようやくのことで傭兵を徴募して常設の軍事力を組織・運用できるようになったのだ。
それでも、フランス王国の大半は、王権とは別個に軍事力を保有する領主たちによって支配されていて、王権は絶えず地方領主の反乱や王位への挑戦に脅かされていた。
王権は、地方領主たちの分立割拠で通商路の安全確保のために苦慮していた諸都市(商人団体)を味方につけて、直属軍の設立・維持のための財政資金――戦費割当税――を受け取ることができるようになった。
諸都市は、王と地方貴族との対立にさいしては、だいたい王を支持・支援した。そのため、王は地方貴族による都市への過重な課税を、地方貴族の財政基盤を弱めるためにも、抑制しようとした。
王権は、傭兵団からなる強大な軍隊によって地方領主を威圧することで、その権威をより広い範囲におよぼすことができるようになった。とはいえ、王権を支える貴族同盟が崩壊すれば、王国の解体と分裂は避けられなかった。
傭兵たちからなる兵員=軍は、やがて数世紀ののち市民革命を経て、国家の中央政府の日常的かつ系統的な統制を受けるようになるはずだった。